*F*


「何…雷か?」
 窓の外を見れば、ついさっきまでの晴天が嘘のように暗雲が空を覆い、昼間だというのに街は明度を失っていた。
 幾度か雷鳴が響き渡り、次いで空から降る大粒の雨が屋外と、いま居る部屋を隔てさせた。
「嘘だろ? 天気変わるの早すぎだろ…」
 天候につっこんでも状況は変わらないのだが、条件反射でついつっこんでしまう宏海の服の袖を、少女が軽く引く。
「ん? 何だ?」
「……あの、さっきの…話ですけど」
 さっき? 急に話を振られ、それが自分の不用意だった発言の事を指しているのだと宏海が気付くのに少し時間がかかった。
「あ…」
「……この雨、しばらく止みそうに無いですし…その…」
 ――詰まるところ、ここに居ても構わないということらしい。もじもじと指先を遊ばせながら応える少女に、宏海の頬が安堵に緩んだ。
「ああ…助かる。」


 ――話は十数分前にさかのぼる。

 ガッ! ガンガンガン! 「おい! 居るんだろう悠! 早く出ろ!」
 猫耳アパート『マジメな委員長がこんな大胆な事を…』号室の扉を、幽鬼のようにやつれきった宏海は、
祈るような思いでひたすら叩いた。
 満足できる状況だかなんだか知らないが、これが続けば腎虚どころか生命の危機にすら関わる。
 ガツンッ!
「…っ! 居ねえのかよ…!」
 一際強くスチール製のドアに拳を打ちつけ、宏海はその場に膝を崩した。
「くそっ…!!」
 運悪く、携帯電話を持ち歩いていなかった宏海に連絡を取る術はなく、『打つ手なし』という残酷な結論が脳裏をよぎる。
 叩きつけた拳にはうっすらと血が滲んでいたが、気にするどころではなかった。
「………」
 そんな宏海の背後から、すっ、と白いものが差し出される。
「?」
 振り返る先でハンカチを持って立っていたのは、ストレートロングの黒髪と、白磁のような肌を併せ持つ、
自分と同じ位の年恰好の少女だった。

 誰だ? ――どこかで見覚えがあるな…。

 つい最近会ったような、と宏海が記憶を掘り返すよりも先に、ベビーピンクの小さな唇が開き、
「宏海おにいちゃん…だめ………それ以上したら……折れちゃいます」
 と、言葉少なに澄んだ声を発した。
 こうみおにいちゃん、と呼ぶ人間は身の回りでは肉親を含めても一人しか居ない。思い至り、名前が口を突く。
「――花子?」

 花子は、太臓たちを含め間界人が多く住んでいる猫耳アパートの管理人室に、管理人の静とともに住む座敷童子である。
 普段は『童子』の名に違うことなく、十にも満たない幼子の姿をとっているのだが。
「……静さん、旦那さんのお墓参り……で、わたし一人です」
「それでメルモンキャンディを食べたって訳か。確かに、子ども一人の留守番は危ないからな」
 偉いな。優しく声を掛け、頭を撫でる宏海に花子の顔が真っ赤に色づいた。

 現実と幻想の狭間――間界の食品『メルモンキャンディ』は、口にした者の肉体年齢を上げる作用を持つ。
 とはいえ、宏海にとって目の前の少女は、やはりあの小さな花子であった。
 慣れぬ手つきで拳の治療をする姿も、人見知り故か、恥ずかしげにうつむいて頬を染める表情も、何も変わっていない。
「悪いな、オレが勝手に作った怪我なのに手当てして貰って。…ありがとな」
 宏海の言葉に花子はふるふると首を振った。

「……」「……」
 花子が元々寡黙なのも手伝って、どうにもぎこちない空気が辺りを流れている。
 しばらく掛ける言葉を捜していた宏海の脳裏に、ある考えが浮かんだ。
「…あーそうだ、花子、悪いがしばらくオレの事匿ってくれないか?」
 花子は首を傾げ、疑問符を頭上に浮かべている。当然の反応か。
「理由は…出来れば聞いて欲しくないんだが(子ども向きの内容じゃないし)、ちょっと周りでややこしい事になってて…
い、いや、駄目ならいいんだ。言ってみただけだか…」

 なに無茶なコト言ってんだ。途中で自分の発言の間抜けさに気付き、宏海は慌てて打ち消そうとした…が。

 ギゴッ……ドドォンッ!
 「!!」
 言葉は外から響く轟音によって、途中でかき消されたのだった。


 ――まるでママゴトのようだ。
 卓袱台に肘をつき、スケッチブックに線を走らせる花子の手を眺めながら、宏海はぼんやりと思う。
 実の妹とは、ママゴトよりも、やれ昆虫採集だ秘密基地作りだといったような、男子さながらの遊びしかした事が無かったので、
本当のママゴトがどういったものなのかよく分かってはいないのだが、多分、雰囲気は近いのではなかろうか。
 擬似的な家族の、温かくもかしこまった空気は、どこか懐かしくて、少しだけ照れ臭い。

 時計を見れば昼を過ぎていたので、静が作ってくれていたというオムライス(なぜか特大サイズだった。子ども向けな筈なのに)を
二人で分けて食べた。
「花子、ほっぺに米粒ついてるぞ」
 大きくなっても幼さは変わらないようだ。
 指でそっと頬に付いた米を取ると、花子の唇がそのまま宏海の指を含んだ。
「おいおい。そんなに慌てなくても別に食べやしねえぞ?」
「……!!」
 条件反射だったらしい。花子は指から唇を離すと、真っ赤になって縮こまった。
「ってオレも付けてたな。人のこと言えねえか」
 自分の頬にも米粒が付いていた事に気付いた宏海は、苦笑しながら同じようにそれを取ると、自分の口に入れた。
 その時、微かに息をのむような音がしたのだが、雨音にかき消され、宏海の耳には届かなかった。

 ――ようやく半日経ったか。あと半日やり過ごせば、あの嫌がらせにしかなっていない魔法ともオサラバだな。
 TVから聞こえる子ども向け番組の音をBGMに、宏海は心の中で呟いた。
 本当に、今までで一番酷い誕生日だったが、この平穏な時間は悪くない、と心のどこかで思う自分がいる。
「…まるで夢みたいだな…」

 今さっきまでの事も、そして今も、うたかたの夢だったらいい。
 目覚めた時に何も無い一日に戻ってくれさえすれば、他に望むものなどない。

「…何言ってんだろなオレ…なあ花子…花子?」
 返事が無いのは彼女の無口さからのものではない。
 卓袱台に頬を付け、花子は微かな寝息と共に眠りの世界へと旅立っていた。
 昼食を終え、眠気が襲ったのだろう。
 揺り起こすのもどうかと思い、宏海は客人用らしき布団を敷いてから、花子を抱き上げ寝室へと運んだ。

 もう少し宏海に注意力があれば、彼女がスケッチブックに何を描いていたか知ってさえいれば。
 ――いや、もう少しだけでも『女心』というものに理解があれば、事態は変わっていたかもしれない。
「よ…っと。ふああ、オレも眠くなってきたな…」
 布団に花子を寝かせ、隣で胡坐をかきながら大きくあくびをする。
 まもなく、規則正しい寝息につられ二、三度船を漕ぎ――宏海もまた眠りに落ちた。
「…んがー…」
 布団のそばで横になり、イビキ混じりの寝息を上げる宏海。その隣で花子はそっと目を開け、身を起こした。
 彼女がスケッチブックに描いた目的を遂行するために。

 居間に残されたスケッチブックには、裸同士で抱き合う宏海と花子の絵が描かれていた。


 ギゴッ! ドドドドォォンッ!!
「んがっ!?」
 ずしりと響く重低音で目が覚める。いつの間にか寝てしまっていたらしい。
 しかし随分すごい音だな。まだ腹に響いてるみたいに重――という宏海のモノローグは、
「…あ……宏海お兄ちゃん……起きちゃいましたか?」
 実際に腹の上に乗っかっている少女の声に遮られた。
 いや、今の彼女を少女というには無理があるか。
 雲間を稲光が走った瞬間、強烈なコントラストをもってして浮かび上がる花子の姿は。

「〜〜〜〜くぁすぇdrftgyふじこlp;!!!!?」
 ――どう見てもょぅι゛ょです本当にありがとうございました。

*     
 夢だ。夢であってくれ。
 何度も口の中で呟きながら、宏海はどしゃ降りの住宅街をふらふらと歩いた。
 
 少女の状態で宏海の寝込みを襲った花子だったが、メルモンキャンディの効果切れを予測できなかったのは誤算だったらしい。
 元の姿に戻り、少女の姿でも挿入に苦労した宏海の逸物は、花子の中を圧倒的な質量で埋め尽くし――抜けなくなっていた。
 宏海自身は、花子を年の離れた妹程度に思う好意は持っていたが、けっして美作…もとい囲炉裏の属性は持っていない。
 しかし、彼女を内側から苦しめる圧迫感から助けるには、己を萎えさせる必要があった。
 更に自分にぴったりと纏わりつき、ギュウギュウと締め付ける膣が与える快感から逃れるのは容易ではなかった。
 それらから導き出される答えとは、つまり。

 ――………ぁ!? ………なんか、あっ! びくびくって…ああっ!

 膣内射精なんです(←結論) 
「……!!」
 がんがんと電柱に頭をぶつけ言葉にならないつっこみをしても、人として超える事が許されないボーダーラインを
軽く突破してしまった事実は覆らない。
 ふらり、とよろつく足で電柱から離れ、空を見上げると、暗灰色の空から降る冷たい水滴が、宏海の体温を奪っていった。
 頭を打った事でぐるぐると回りだす視界が、徐々に夢と現の境界線を曖昧にさせていく。

 ――もういっそ、このままでいようか。
 ――現実から目を背けて、夢だと思い込めたなら。

 今の自分に囁かれる言葉は、甘美な誘惑だった。
 悪くない。喉の奥で呟き、宏海はそのまま目を閉じ――雨降る道の真ん中で意識を失った。


「本っ当信じらんない! …電話にも出ないし、家には居ないし、雨は降り出すし…」
 ほぼ同時刻、雨降る住宅街の中をレインコートを羽織って自転車で駆ける女性が一人、誰に語るでもない愚痴をこぼしていた。
 恋人の誕生日だからと、無理に予備校の特別講習を断ってまで立てていた予定がことごとく潰されてしまっては、
文句のひとつも出るのであろう。
「…はああ、にしてもドコ行っちゃったんだろ宏海…太臓の所かと思ったけど、アパートは誰も居ないみたいだったし…
あれ? なにアレ」
 溜息混じりに呟く彼女の、たれ目がちの瞳に、道の真ん中で倒れたまま雨に打たれる大きな影の姿が映る。
 ――通行の邪魔にしかなってないじゃないの! もう、轢いてやろうかしら!
 八つ当たり気味の物騒な考えはしかし、近付き、影の正体を知った瞬間撤回された。
「…宏海!」
 彼女は自転車から降りると、すっかり体を冷やしきったまま意識の無い恋人の名を呼んだ。
「ちょっと、宏海、宏海!? しっかりしてよ!」
 体を揺すり、冷たくなった頬を叩く。はずみでレインコートのフードが外れ、中からポニーテールに結んだ髪が現れた。

 その女性の名は、百手矢射子。
 阿久津宏海の、恋人である。

『矢射子END』→Hへ

作品倉庫

TOP

inserted by FC2 system