*B*


「何だこれ!? 何で先に行けないんだよ!」
 最寄り駅の前で宏海は誰も居ない方向に怒鳴る。
 傍から見ればその光景は滑稽なパントマイムに見えるだろう。だが、自分の前には『ある』のだ。
 見えない壁が。

 まるで初期レベルのRPGのような、タチの悪い冗談だ。
 これも翠の魔法の結果だというのだろうか。
「アイツ本当はスゲー奴なんじゃねえのか…?」
 バスやタクシーでも同様の結果(バスはバス停に近づけない・タクシーは乗車拒否に遭う)となり、
苦虫を千匹噛み潰したような表情で、宏海は市外へ出ることを諦めた。

 ――でもまあ、市内に居るからってそんな顔見知りに何人も遭ったりはしねえか。
 どうも己の運の悪さを軽視しているてらいのある宏海は一人、口中で呟くと、適当に市街地で時間を潰す事にした。

『…今日のトークゲストは、CMやバラエティにも引っ張りだこ! 字戸井萌ちゃんですー!』
『こんにちはー』
 ふと聞き覚えのある声に電器店の前に立ち止まると、TVのディスプレイの中で微笑む、見知った顔があった。
 内容はよくある情報バラエティ番組のトークコーナーだが、祝日なだけあってか、学生が本業であろう萌も、
容易にゲストとして呼ばれたのだろう。

 にこにこと笑いながらソファに腰掛け、司会者と軽く会話を交わす萌の姿は、さすがアイドルと言わんばかりに輝き、
ただ足を止めただけだった宏海の視線をしばし留めさせるほどであった。
「……何か変なモンだな。同じ学校の知り合いががTVに出てるのを見るってのは」

 本当は、TVでおなじみの有名人が同じ学校に通い、知り合いになる事態のほうが極めてレアなのだが、
残念なことに宏海はその辺りの感覚が完全に鈍っていた。

『萌ちゃんは、高校生活一ヶ月目になるけど、勉強とか楽しい?』
『はい。…あ、勉強はちょっとニガテですけど、友達と色々面白いこと話したり、楽しいですよ』
『ん? 友達ってのは女の子? それとも…』
 突っ込んだ質問をする司会者。よくある展開である。宏海もあまり気にせず聞いていたのだが。

「――?」
 一瞬、画面越しに視線が合ったような気がして、心臓が微かに反応した。
 そして直後ただのカメラ目線だと気づき、妙に恥ずかしくなった。

『女の子の友達ですよ? もう、どんな返事期待してるんですかー?』
『いやいや、ホラ一ヶ月も経つとさ、気になる異性とか出て来たりするじゃない。目星をつけたぞ! みたいな。
で、どうなの萌ちゃん。気になる相手とか学校にいる?』
 やけに馴れ馴れしい司会者だ。さっきまでは気にならなかったのだが、少し苛立ちを覚えだす。
 萌に罪は無いが、司会者にうんざりしてきたので宏海は踵を返し、その場を離れようとした。

 が。
『……居ます、よ。好きな人』
 TV的にも、清純派アイドル・字戸井萌としても、ありえない回答が、再び足を止めさせた。
 ディスプレイの向こうのスタジオも、心なしかざわめいている。
『も、萌ちゃん…? ちょっ、台本…』
『ずっと抑えてたんです。彼女も、居る人だから……でも、どうしても、抑え切れなくて…』
 頬を紅に染め、言葉を紡ぐ萌の手が、自身の胸と、下腹部へと伸びていく。

 こんな萌の姿など、TVの向こうで見ることなど、まずないだろう。
 苦しげに寄せた眉も、かすかに湿り気を帯びたまつ毛も、軽く噛んだ桜色の唇も、全て蟲惑的だ。
 ――もしこれが演技だとするならば、とんだ大女優だ。

『いつも……いけないって思いながらしちゃうんです。その人のコト思って…んっ』
 服越しにまさぐる手がもどかしいのか、程よく肉付いた太股をもじもじと擦り合わせる度に、スカートの奥が見えそうで
見えない危険な状態になる。
『ちょっと! カメラいつまで回ってんの!? 早くCM入れて!』
 どこからか微かに聞こえる叫び声はマネージャーのものか。
 未だ回り続けるカメラに向け、潤んだ瞳で彼女は吐息混じりに一人呟く。
『はあ、はっ……すき、です』

 あくつ、せんぱい。

 ピーーーー。
 直後、ディスプレイの中でカラーバーの映像が流れ、次いで『しばらくおまちください』の味気ない画面となった。
 
「………」
 呆然と立ちすくむ宏海。
 ――最後の、声になってなかったトコ……あれ、オレの名前呼んでなかったか?
 まさか、TVの前にオレが居たからそれに反応して…?
 まさか。
「…冗談にしちゃ酷すぎるぞオイ」
 喉の奥から、乾いた声が漏れる。だが、背後の通行人の中にその呟きに耳を貸す者はいなかった。
 先ほどの痴態に足を止める者も。

 うすら寒く感じる何かと、熱に似た痛みを体に抱えつつ、おぼつかない足取りで宏海は市街地を後にした。

*       
 ――まるで、街全体が自分を醒めない夢の中へ陥れようとしているようだ。
「…本当に、夢なんじゃないか?」
 そうであってほしい、という願いも含め、呟く。が、自分の頬をつねって確かめる気は起こらなかった。
 もしも、夢でなかったら――確証を持つのが怖かったからだ。

「はあ……どうするかな…街中に居てもどうにもなんねえんだったら、いっそ一人になれる所行くか、それとも…」

『公園へ行く』→Dへ
『猫耳アパートへ行く(2)』→Fへ

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