宏海×矢射子(エロ抜き)「これからの あなたへ…」

投稿日:2007/05/20(日) 11:48:06 ID:pmKQitaR


プロローグ1 百手矢射子の独白

こんな事 少女漫画かテレビドラマの中でしか無い事だと思ってた。

あの日 堂々とした背中を見るまでは。
あの時 揺るぎない決意に満ちた言葉を聞くまでは。
そしてあの時 長い間言いたくても言えなかった名前を口にするまでは。

…どうしよう。
―――あたしは
     阿久津宏海に二度恋をしてしまった―――


プロローグ2 阿久津宏海の煩悶

一寸先は闇。 イヤ、今の状況がそうってワケじゃなく。
まったく世の中何が起こるか分かったもんじゃねえ。

ド直球の大暴投を顔面にぶつけられたその翌日
投げた当人(ソイツ)はオレの彼女になり、現在付き合ってる というのだから…。

あの日の選択を間違ったなんて気持ちは微塵も無い。
が、それならここ最近 オレの中にわだかまる不可解な感情は一体何なのか?
       ―――答えは 未だに出ない―――




「悪ィ!遅くなった!!」
「ううん気にしないで 時間内だから…
 …待ち合わせ時間に前後1時間でも幅取っといて正解だったみたいね」
「どこの部活の常識かは知らんが そいつは同感だ。
   あの太臓(ヤロウ)… 
 『べぇっつにィー ただ呼んでみただけー』だなんて
 とうとう嫌がらせで召喚仕掛けてくるようになりやがってな…
 いつ何処でド
     『 阿 久 津 宏 海 』
         ぞくり。
(ウワサをすればドッペルゲンガーかよチキショォオオオ!!!)
その場に立ち尽くして憤る宏海に「振り向かずに三、四歩前に進んで」と矢射子。

     『 阿 久 津 宏 m
   「 さ せ る か ァ !!! 」

裂帛の怒声と ドグシャアと何かがつぶれる音に 
何事かと振り向いた道行く人々が、皆一様に顔面蒼白となった
…特に男性が、前を押さえて。
「これでしばらく 呼ぼうだなんて思わないわ…
   さっ、行きましょ♥」
何をしたかは敢えて訊くまい、と こめかみに縦線を浮かべつつ 宏海は思った。

〜一方、その頃〜
「ふぐぅぅうう、オ、オレのビッグブラストがぁああぁぁぁぁ!!!」
「気を確かに王子!あなたのはどう大きく見積もってもレプラカーンでしょう!!」
太臓は悶絶し、側近の悠は何気に失礼な事を言っていた。


とにかく落ち着いて話が出来る場所へ、ということで双方合意の下
行き着いた先は『カフェ・ドゥ・マゴ』店内。
窓際はヤバいからと一番奥のテーブルに陣取り、運ばれてきたコーヒーを飲む。

「ちょっとミルク取ってくんねえか?」
「(え!?ミミミミルク!!? あ ああ コーヒーミルクの事よね わかってるわよ うん)は はい」
「サンキュ(まーた変な事考えてたな…)」

コーヒーに砂糖を入れながら 矢射子は考える。目の前の彼氏の事を。
(あぁ…やっぱり素敵だな 宏海…
   優しくて 強くて 格好よくて …
   凛々しい眉も、意思の強さと優しさが同居した目も、
   通った鼻筋も、引き締まった口元も、逞しい体も、今はその全てがあたしの……うふ。うふふふふふふふふ………)
「……イコ…やいこ…矢射子! オ イ 矢 射 子 !!! 」
「 へ ? 」
「『 へ ? 』じゃねえよ!お前コーヒーじゃなくて砂糖飲む気か!!?」
「え? あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ !!!? 」
飽和状態通り越して、カップはおろか受け皿からさえも溢れる寸前までになったコーヒーに 矢射子はひたすらうろたえた。
そんな彼女を見て 宏海は思う。まったく相変わらずだな、と。


「ところで…今日は話があるって、何なの?」
「他でもねえ。今後にあたっての話」
「え?何、やだ、いきなり関白宣言!?」既に矢射子は耳まで真っ赤っかだ。
「 ち げ え よ 。
 ウチの家族に関しての 面倒臭くてもクリアしとかなきゃいけねえ諸々の問題だ。」

そして宏海は話した。
矢射子が「一度会ってみたい」と言った人物が
自分に対する常識外れなまでの独占欲と 支離滅裂な思考パターンの塊で
それが元となって母と別れ 妹と自分とを離ればなれにし 更に自分をグレさせ
事実上、阿久津家と言う『自分自身の城』を たったひとりで崩壊に追いやりながら何の自覚も無い
ある意味 間界人以上にタチの悪い奴だと言う事を。
妹は妹で、ドキ高入学早々 自分が佐渡あいすと両想いだなどと勘違いし、それが未だに継続中だという事を…。

「と言うわけだ…」宏海はゼェハァと肩で息をしている。
「間界人関連抜きにしても 色々抱え込んで来たのね
           (こりゃ最凶の舅と最恐の小姑だわ)…」 
「解ってくれて何よりだ。
 まあ親父の事はこの際さて置いても 当面の問題は伊舞…妹だ。
 ただでさえお前、妹には 最 悪 の 第 一 印 象 抱かれてんだから」
矢射子の頭に『 ゴ キ ブ リ 』『 毛 虫 』『 討 ち 入 り 』『 血 ま み れ 』と書かれた矢印がガスガス突き刺さる。
「あぅ…その件に関しては 重々、厳粛に受け止めてます…」
「伊舞もあれで 思い込んだら結構、依怙地だからな…一体全体 誰に似たんだか」
( あ ん た に も 似 た 事 は 間 違 い な い わ ッ !!! )心の中で『内なるヤイコ』が ビ シ ! と宏海を指差す。
「アイツに期待するしか無ェのか…?不安この上ねえが…」
「???…誰のこと?」
「そう言や まだ話してなかったか…
 オレ達が付き合ってる事 とうとう学校内でもバレ出したっての。
 …予想外…いや ある程度予想はしていたが 考えたくはなかった所から 徐々にな…」



幕間 阿久津宏海の回想 〜ジョジョ部の昼休み(前編)〜

某日、昼休み 3-Eに溜まるJOJO部メンバー達。

メンツも何とか集まり、部活として正式に承認され、ついでに有藤も顧問として迎え入れ
順風満帆と行きたいジョジョ部だが、いま一つの問題があった。
部室をまだ決めてない、という事だ。
ゆえに毎日 文字通りの『奇妙な冒険』を続けている。

(一昨日は視聴覚教室でビデオ鑑賞会、昨日は体育館でラジオJOJO体操…で今度はゲーム大会だぁ!?
 どんどんこの部活の実体が掴めなくなってくな…)
窓のサッシに腰掛けパック牛乳を飲みつつ、そんな事を考えていた宏海に てくてく近づいて来たのは麻仁温子だった。
「あの〜〜阿久津くん ………ちょっと訊きたいことがあるの でも驚かないでね
 元生徒会長の………百手さんと『付き合ってる』って…………ホント?」 
その上体を段々と後ろに傾かせ シパシパ腕をバタつかせ 遂に宏海は窓からズッこけ落ちた。ここが一階だったのが不幸中の幸いか。
「 何 で 麻 仁 が そ れ を ォ !?
 太臓かッ!?悠か!!?それともあの陽子(スピーカー)の仕業かッ!」
「あ…あわてないで阿久津くん」
しかしてその答えはまったく別方向から返ってきた。
「私よ」
「 翠 ィ ィ ――――― !!? 」


幕間 阿久津宏海の回想 〜ジョジョ部の昼休み(中編)〜
「わりい、ちょっと待っててくれ!」と温子に断りを入れ、
空間削り取ったかのような猛ダッシュで翠に詰め寄る宏海。以下、小声の会話である。
「一体どういうつもりだ!って言うかどーしてお前が…!!!」
「まだまだ青いわね赤毛君(「どっちタマ」)。“あの後”あの巨乳女が私たちに何の報告も無かったとでも思ってたの?」
( し ま っ た ! )
「それにこーゆーコトはね 下手に隠すよりも大っぴらにバラした方が良いのよ。敵味方もハッキリするし」
「敵以外見えてこねえように思えんのは気のせいか?」
「大体アンタ さっきの体たらくじゃ 
 伊舞にだってな〜んとなく言いそびれてズルズルベッタリなんでしょーが」
それを言われてしまっては、最早グウの音も無い。
「…私は悠様とネチョネチョシッポリしたいんだけど」
「誰も翠たまの意向や嗜好なんて聞いてないタマ」
「何だったら私から伊舞に伝えたげるわよ?成功報酬は悠様から離れるって事で」
「あくまで自分の為タマか」
「オレが何べん言っても聞きゃしねえものを、お前にどうにか出来んのか?でも女同士ならあるいは…
 …仕方ねえ、お前に一任しよう。ただし変な脚色とかは絶対すんなよ!ってか離れられるもんならオレだって離れてえし!!」
「だーいじょうぶだってば。その辺はあのおっかない雪人にも 散々釘刺されたから」
「佐渡に釘ねぇ…下手打ったらお前、百目ロウソクでも出されんじゃねえか?」
「あら赤毛君も言うじゃない。でもロウソク垂らされるなら悠様の方が…」
「赤毛が言ってるのはプレイじゃなくて拷問タマ!」

しかし宏海は知らない。
翠が“あること”を隠していたのを。
『いずれ宏海自身が直面せねばならん事だ。今はその時じゃない』と 
その時が来るのを 鼻息荒くして待っている誰かさんに口止めされていた事を。


幕間 阿久津宏海の回想 〜ジョジョ部の昼休み(後編)〜

「すまねえな、待たして…ああーっと まず結論から言うとな…」
「いいよいいよ さっきの慌てっぷりでよーく解ったから
 …そっか 阿久津くん 好きな人 できたのか…そうなんだ…」天井を仰ぐ温子の目尻に、光るものひとつ。
「麻仁…?」
不意に胸板をトン、と小突かれる。
「大切にしなきゃ、ダメだよ?『ジョースター家の男は生涯 ひとりの女性しか愛さない』んだから」
「ジョースター家がどうとかはともかく、そうするつもりだ(でねえと命に関わる…)」後頭部が 疼いた。

「だったらオレの東方朋子になってよ温子ちゃん!!」
時間にして二、三秒ほどの“間”ののち 振り向いた温子は
「 そ れ じ ゃ あ   て め ー ひ と り で 地 獄 へ 行 き な ! 」
                   キレていた。
「 え え ――――― !!? 何この温度差!!!」
「場の空気も読まずに『浮気相手になれ』なんて言われた女性の反応としては
 至極 当然のものだと思いますが?」“若手期待のホープ(笑)”押上仁露が言う。
その言葉の端々に怒気が混ざっているのは 彼が温子の事を部員として、人として敬愛してるが故か
あるいは また別の感情からか。

「(まったく太臓(アイツ)は…)…まあ その なんだ…
 麻仁も 巡り逢えたら良いな …お前だけの承太郎に」
「阿久津くん…
 や だ も ぉ ★ いきなり何言うのよ!!!」
┣¨ ┣¨ ┣¨ ┣¨ ┣¨ ┣¨ ┣¨ ┣¨
「 照 れ 隠 し に 突 き の 連 打(オラオララッシュ) !!!? 」



( ス キ ナ ヒ ト 、か…
 そう言や、まだ矢射子(コイツ)に『オレ自身の気持ち』っての 言った事ねえな…
 確かに『矢射子の気持ち』は知ったし それは受け入れたが。
 “楽しそうだ”って付き合い始めて、変態連中から守ってやらねえと、って思って…
 だがそう遠くない内に それだけじゃ済まされなくなる時は必ず来るんだろう。
 その時、オレは 『その一言』を口に出来るのか…?)

       「宏海?」
思考の袋小路に陥っていた宏海は シーザーばりに椅子から跳ね上がった。

「え、あ、いや…思い返してみりゃ 
 オレ等ってお互いの事殆ど知らねえで付き合い始めたんだな、って…」
「あたしはそれでも一向に構わないけど。
 だってホラ この先『知ってく楽しみ』が その分増えたってコトだし」
「そりゃまた前向きなこって」
     「もっと 知りたいな…
             今まで知らなかった 宏海のこと いろいろ…」
「ハハハ 元不良の思い出話なんて面白いかどうかだぜ?
 そう言う矢射子こそ どうだったんだよ?小さかった頃とか」
「え?あたし?あたしの小さかった頃は…」

矢射子が記憶の糸を手繰るさまを 暢気に頬杖突いて見ていた宏海だが
その顔が驚愕一色に塗り潰されるのに さしたる時間は要さなかった。

何故って

「あたしの 小さかった…あ…たし……の……ちい………さ……………」

見る見るその体はカタカタ震えだし、鳶色の瞳は青く濁り、
見開かれた双眸からは滂沱の涙が『じょ―――――…』と溢れてきたのだから。

「 ト ラ ウ マ ス イ ッ チ 入 っ ち ま っ た !!? 」


「ごめんなさい…あたし…七年以上前のこと…何一つ 思い出せなくなってる…
 太臓絡みの記憶に…上書きセーブされちゃって……」

精神のバランスを保つ為、ヒトの脳は時として 辛すぎる記憶を消し去ったり
心の奥底へと封じ込めたりすると言うが、よもや その逆パターンとは。 

「イヤ謝んのは話切り出したオレの方だ!
 悪かった ホント悪かった!!!」
「それからこの方…アイツへの…恨み辛みだけを…ヒック
 心の支えになんか…グスッ…して来たかと…思ったら…惨めで…悲しくて………」 あとは嗚咽にしかならない。
「あー……」

   泣きじゃくる矢射子を前に、宏海は思う。
(…こんだけ人の心ズタズタにしといて『いくら考えても恨まれる覚えがねー』たぁ ロクでもねえおにぎりだな全く!
 いつか太臓(アイツ)自身の口から“自分の良いところ”ってのを訊いてみてえモンだぜ…
 小一時間考え込んだ末に 頭から煙上げてブッ倒れるってのに 千円賭けても良いけどなッ!!!)

〜一方、その頃…〜
「 ぶ は く し ょ ! へ ―――― っ く し ょ い !!!ッキショーめぃ…誰だ噂してんのは!」
「おや王子。二連続でクシャミとは 誰かの余程深い恨みを買ってるんですね」
「 オ レ が !? 誰 に !!? 何 で よ !!! 」
   心外以外の何でもなさそうに声を荒げる。
「…まあ『激しすぎる憎しみは 片思いの恋にも似ている』とも言いますけど」
「なーんだ、やっぱそっちか。イヤよイヤよも好いの内ってヤツ?
 オレの事しか考えらんない??オレだけが心の支え???いやー参ったなぁぁ!!!」

『イヤよイヤよは心底イヤ』な噂の発信源が聞いたら憤死しかねない事を言い、
太臓は顔面筋肉をデレデレに緩ませて悦に入っていた。
   そんな主君を横目に、悠は思う。
(…甘いな。この王子が四半刻(約30分)と保つものか。二千円賭けても良い)


後日、宏海は件の考えを実行に移し
『賭けはお前の負けだ』と
訳も分からず悠に千円ふんだくられるのだが、それは余録。
今はそれどころじゃないのだ。

(どうしよう…涙が止まらない…
 このままじゃ『ピーピー泣く女は嫌いだ』とか言われちゃう…軽蔑されちゃう…
 あ…駄目…そんな事考えたら…また涙が……)
矢射子はすっかりネガティブオバケに取り憑かれていた。

(…しっかし よく泣くな…
 鼻血噴いたり剣振り回して暴れたりとは まるで印象が違…ん?
       待 て よ 。
 “そーゆートコ”にばっか気ィ取られて来たが 
 コイツひょっとして ずっと泣いてきたんじゃねえのか…!?
 あのバカの事だけじゃ無しに オレとの事でも…?)

『逆に他の人じゃなくて よかったっていうか…』
『ホントよ…いつも暴走して…空回りで…
 しかも相手は全然 気持ちに気付いてくれないし…』
『あたしも よく誤解されてる…』

宏海の記憶の中、まばらに存在していた“ 点 ”が今、一本の“ 線 ”になる。

以前 誰かに『お前は女心がわかってねー』だの『お前はデリカシーがない』だのと
そいつ自身を全く省みない口を利かれたが…

( な ん て こ っ た 。 これじゃあ太臓(あのバカ)の事を笑えやしねえ…!!!)


兎に角、ここは“なんとかなる”のを期待する時じゃなくて
   “なんとかしなきゃいけねえ”って時だ。
そう自分に言い聞かせ、宏海は必死の思いで言葉を紡ぐ。
「…なあ。
 オレ達の関係ってな 要するに…
 まだ買って間もないノートみてぇな物なんじゃないかって気がするんだ…」 
それを聞いた端から
   「…そんな…『全部 白紙に戻そう』なんて…」と
ハンカチで顔の下半分隠しながら 鼻をズビズビ言わして涙ぐむ矢射子に
   「 だ か ら 違 ェ っ つ の 」 思わずツッコんでしまう。

お前通知表に『人の話は最後まできちんと聞きましょう』って
最低でも一回は書かれたクチだろ、とは流石に言えなかったが。
それが更なる地雷を踏むって恐れがある以上は。

「つまりな…お前がさっき言ってたのと似たような事言うが、
 これから先の嬉しい事とか 楽しい事とか
 一緒に 書き綴って行けたら良いんじゃねえかってこった」
     (これから…一緒に……?)
「そりゃまあ 太臓たち(バカども)に落書きされちまうコトもあるかも知んねーけど
 そんなモン圧倒しちまう位 沢山…って、
 今度は何が悲しいんだ…?」


その胸の前でギュ、と手を重ね 俯いて猶も頬を濡らし続ける矢射子に
困り切った顔で宏海は問いかける。

だが
 
「―――違うの
         嬉しいの…
 宏海が『これからの事 一緒に』って…言ってくれて…
 今 初めて…恋人同士に…なれたのかな、って…そう思って…
 あたし…宏海のこと 好きになって…本当によかった…!」

矢射子は泣き笑いの顔を上げ、指で目尻を拭う。

「矢射子…」

それまで『ふつうにしてりゃかわいい』とか『黙ってりゃ結構美人』とか
条件付きで思ってきた宏海だったが、この時ばかりは違った。
目の前で喜びの涙を流す彼女に抱いた感情。
   そう それを言葉に表すなら―――
         『いとおしい』


宏海の記憶の涯て、眩い白光の中 浮かぶシルエット―――懐かしき面影。

(そうか…そうだな。なら、するべき事は一つだ)

「そっち座るぞ、良いか?」
「え…?」
「…答えは聞かねえ」
言うなり席を立ち、矢射子の隣に半身で腰掛ける。

(ホ、ホントに来ちゃった…しかもガラ空きに腕乗せて
 ガードが背もたれで…えーと、えーと……)
どぎまぎして思考の定まらない矢射子に投げかけられる
「いいんだぞ、泣いても」の声。

「…あ…でも…だって……」
「何だよ、泣く女がどうとか言われるだなんて思ったのか?
 オレに言わせりゃ 泣きてえ時に泣かねえって方がよっぽど問題だぜ。それにな…」
「……それに?」
「…ちったぁ彼氏らしい事させろよ」
 頬を掻きながら含羞の笑み。
「…!!……うん」
   頷き、宏海の胸に頭を預け 矢射子は…静かに泣く。


シャツ越しに感じる体温と 鼓動と。
頭に無造作に乗せられたその手に、重さは無く。
ぽん、ぽん、と指の腹で軽く叩かれ そっと撫でられて。
   (宏海の優しさが伝わってくる…)
頭に血が上るより先に、胸の奥が温かさで満たされて行く。

「…おふくろがな」
「?」
「言ってたんだ、おふくろが。

 『どんな理由があっても女の子泣かすような男にはなるな、
   けど もしも大切な誰かが泣いてる時には 
   その涙を受け止めてやれる男になれ』…ってな。

 …何しろガキの時分に一遍聞かされたッきりだったんで
 前半部分だけ漠然と『女子供に手ェ上げんな』ってぐらいにしか捉えてなかった上、
 情け無ェことに“その時が来た”んだって解ったのも ついさっきだったんだけどな
 ―――オマケにお前のこと 泣かしちまったし」


(大切に…思ってくれてるんだ…)
更に一層、胸が熱くなるのを感じながら 矢射子が思い出していたのは
“想いが届いたあの日”の夜、旅館の女子部屋での出来事。

(―――吉下。
   『おめでとう百手さん。本当に おめでとう!』
 あれこれ手を尽くしてくれて、だけど結局なるようにしかならなくて。
 その分、ちょっと複雑そうだったけど…それでも まるで自分の事のように喜んでくれた。
 ―――佐渡さん。
   『そう。よかったわね』
 祝福のことば。はじめての ことば。いつも通りの素っ気無さだったけど。
 ―――翠ちゃん。
   『まあトーゼンの結果でしょ!これで悠様への障害ひとつ消えたわ♪』
 …一体 あの根拠の無い自信は何処から湧いて出るのだろう。
 それでもあの娘(コ)の積極性は見習うべき所も…やっぱり止めとこ。
   『創業でこれなら守成はもっと大変タマね。で、翠たまは実質何やったタマ?』
 って言ってた お供のオタマジャクシさんの気苦労が偲ばれるわ…

 ―――そうだ。
 あの三人(と一匹)だけじゃない。

 もしも木嶋に あたしの気持ちを見抜かれてなかったら。
 もしも乾が戦い挑んで瞬殺されて、夕利が宏海の こ…股間…蹴っ飛ばしてなかったら。
 …そう言えば卒業式以降 あの二人からのメールがプッツリ止んでる。
   宏海と付き合い始めて 浮かれて気付かなかったけど…あの子達 もしかして…?
  
 たくさんの手に支えられ、時には後押しされて 今、ここにこうしてる あたしがいる。
 応えたい。皆の気持ちにも。その為には…)


「…あのね 宏海…ずっと前から…言いたかった事があるの…
     …ごめんなさい」
「って出し抜けにいわれてもな」
「かもね。でも…謝らなきゃって 決めてたのよ…
 ―――あたしが 宏海と…初めて会った時のことを…」

今でこそ 毎日食べたものを携帯メールで遣り取りするほどの間柄な二人だが
その“初めての出逢い”たるや 凄絶を極める代物だった。
現場に居合わせていた ある一人の女子生徒(現在3年生)は 当時の状況をこう述懐する。
       「一言で言えば…流血の大惨事だったわね」
しかもその時矢射子が のちの彼氏サマを前にして
『いかにも血の臭いが染み込んでそう』だなどと言ってしまってたと来た日には…。

「見た目だけで中身まで決め付けて、勝手に誤解して 嫌って…
 何てひどい事言ったんだろうって…そう 思ってた。
 なのに、つまらない意地張って 空回って暴走して 余計ひどい事しちゃって…
 だから…だからね………………………ごめんなさい」

消え入りそうな声で最後の一言を絞り出すその姿に、宏海は
(…ホント、いったい今まで矢射子(コイツ)の何見てきたんだろな…オレって奴ぁ)
改めて思い知る。如何に自分が 彼女の一部分だけしか知らなかったかを。


(そりゃ確かに、矢射子に初めて会ったときは
   『 何 て ブ ッ 飛 ん だ 女 だ 』…って思った。実際1階から2階までブッ飛んで来たし。

 あれは1年の3学期辺りからだったか。
 いきなりワイシャツ破いたのを皮切りに、
 何かってーと 太臓にかこつけてはオレにまで因縁付けて来るようになって、
 オレを前にして鼻血出したり、予測もつかない行動に出たりして。

 然るに、今はどうだ。
 オレの胸ん中で縮こまって、その頃の事を詫びる彼女は
 下手に触ったら砕け散っちまいそうなぐらいに儚げで…)

「…べつに矢射子(オマエ)ひとりが気に病むコトでもねえさ。
 『降りかかった火の粉を払う』やら『妹を守る』やら、いくら大義名分並べ立てたところで
 片っ端から暴力でねじ伏せて来た、ってのァ曲げようもねえ事実だし。
 ましてや お前の気持ちも解ってやれずに
 ひでえ事言っちまったのは オレだって同じか、それ以上だものな。
 おあいこ、ってワケにも行かねーだろうけど、オレからも謝る。
           …ごめんな」

(―――ああ。
     宏海は本当に優しい。あたしなんかには勿体無いほどに…)
         …無論、他の何ぴとにも譲る気など更々無い矢射子なのだが。

手の下の頭が もぞ、と動く気配に 宏海が問う。
「ん?どうした…もう大丈夫なのか…?」
「うん。だいぶ落ち着いた…ありがと」
 支えられながらも頭を離し、座り直す矢射子。顔は俯いたままに。
   ――“言いたいこと”は もうひとつ。ふたりで歩いて行きたいから――


「昔はね…『自分に釣り合った彼氏なんか そうそういる訳無い』だなんて
 笑っちゃうくらい傲慢なコト考えてた…」
( あ あ 、 そ り ゃ 知 っ て る 。 ……けど口には出さんどこう)

「 ・・・ で も 今 は ・・・ !!! 」 と、顔を上げた途端に
     目 が 合 っ た 。

   ふたりの間に、暫しの沈黙。
ごくり。という息を呑む音さえもが、異様に響く。
しかも矢射子にとって間の悪いことには、
この瞬間 頭に血が上ってしまったからさあ変態…いや大変。

(どどどどどうしよどうしよ、言葉が続かない…
 このままじゃ宏海の視線に射抜かれて脳細胞ひとつ残らず焼き潰されちゃう…
 でもここで目を逸らしたりつむったりなんかしたら、もう一歩も前に踏み出せない…!!!
 傷付く事恐れてたら、地球が悪の手に沈むのよ!!
 ああッ太陽よ!愛に勇気を与えてェェェ〜〜〜〜!!!!)

顔は赤熱、目はグルグル、脳天からは湯気。
百手矢射子、今まさに思考回路はショート寸前、ハートは万華鏡であった。

「あ…」
「…あ?」


「…宏海(あなた)に見合った…私に…なりたい…」


( 効 い た 。 矢射子の今の一言はどんな拳よりも。
 相当にヤバい兆候だったってのァ 顔見りゃ解った。
 長いこと肩肘張ってきた、そのプライドを 最後の薄皮一枚までも振り捨てたってのも。
 “あん時”が 正にそうだったから。

 …以前のオレだったら
 『だったら、鼻血グセ抑えて テンパって奇行に走んのも控えて…』と
 間髪入れずに混ぜっ返し 笑い飛ばしていたかも知れねえ…
           が!
 今 この局面でンな事言っちまったらオレはアホ以下の以下だ!!!!)
   ここが正念場と定め、宏海は 意を決した。
「…正直 そこまで買い被られるって程、
 ご大層な人間だなんて自覚 やっぱオレにゃどう考えても湧きそうにねえ。
 だから…お前もお前でいてくれ。自分落としたりとかナシにさ。
 そりゃ感情表現は人よりほんの少し(……壊滅的に)不器用かも知れねーけど
 一本通った芯はどこまでも真っ直ぐな…

 そんな矢射子(おまえ)だから 何もかもひっくるめて
 あの日あの時、付き合ってこうって決めたんだからな。今も、これからも。
       好 き に な っ た ん だ 」


臨界点、突破。感情が堰を切った。

   「 ・・・ 宏 海 !!! 」

その名を言うが早いか、矢射子は宏海の首に手を回し、抱き付いていた。
「あたしも好き。 大 好 き 。 前よりも、もっと。この先も、ずっと…!」

知らずしらず、宏海も矢射子を掻き抱く。鼻腔をくすぐる、桃の香り。
   「やっと…言えたな。お互い」

宏海の瞳の中に、矢射子。矢射子の瞳の中に、宏海。

     もう 言葉は要らない。

おずおずと触れ合い、そして確かさを持って重なり合う…唇と唇。

永遠にも思えた十数秒ののち、
唇が そっと離れる。お互いを名残惜しむように。
それでもまだ ふたり 抱き合ったままで。

(こうして 宏海にきゅーってされてると…
 何だか お日さまに抱かれてるみたい…温かさに包まれて…心まで融けそう…)
(雪崩ン時ゃ無我夢中で抱きすくめてたし、
 コイツもカチンカチンに固まっちまってたけど…
 今は触れてる部分(トコ)全てが柔らけぇ…これが女…これが矢射子…なんだな…)

背中からうなじへと移った宏海の右手に
「…ん…………はぁ…」
矢射子の唇から漏れる、甘やかな声。

「…悪ィ。力加減、マズっちまったか…?」
「ううん…どうして?」
「イヤおかしな声出すから 痛かったのかと思って
   …って、なに急に笑ってんだよ?」
きょとん、とした表情からややあって 
くすくす笑い出した矢射子に 宏海は問う。
「(こんな時にも紳士なんだから…でも嬉しいな…)
   違うわよ。気持ち良くって、幸せで…だから…」 

     だから、もう一度 口付けを交わした。


「ようやく…スタートラインに立てたのかな…あたし達」
「そーかもな…ずいぶん長かった。
 オレが朴念仁の鈍感野郎で無きゃ
 矢射子も浪人しねえで済んだのかと思うと慙愧に堪えねえ…」
「ううん、宏海のせいじゃない。
 あたしがもっと早いうちから 自分の気持ちに素直になれてたら…」

「いや オレが……!」
「いいえ あたしが……!」
     お互い 顔を見合わせ…
・・・・・・・・・・・・・・・・・ぷふっ。
           思わず 吹き出して…
「「 あ は は は は は は は は は は は は は ! 」」
 ((こんな風に 心の底から笑うなんて、何年ぶりだろうな(かしら)…))
                 …そう 思った。

「―――無くしたもの 奪われたもの…
 利子込みで取り返して行こうや。ふたりでな」
「うん!」

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