宏海×矢射子:2007/04/21(土) 23:09:42 ID:Yh5FMFNy



『ピンポーン』
土曜の午後、百手家の玄関でチャイムがなった。

矢射子は、ベッドの中でチャイムを聞いた。 チャイムで目が覚めたが、まだ半分寝ているようで頭がぼうっとする。
もー、お母さん出てよー。
『ピンポーン』
もう一度チャイムが鳴る。
あ、そうだ、お母さんもお父さんも、旅行に行ってたんだっけ…
矢射子は、パジャマにカーディガンを羽織ってインターフォンに出た。
「はーい…」
『…阿久津と言いますが、矢射子…さんはおられますか?』
「え?? 宏海?? えええ?」
『あ、矢射子か?』
「な、ななななんで…」
『いや、何でって、風邪引いて心細いってメール見たから見舞いに…』
「い、今玄関開けるから!!」


矢射子は、急いで玄関を開けた。
「もう何よ。来るなら来るってメールか電話してよ。」
本当は凄く嬉しいのに素直になれない。 折角宏海が来てくれたのに…。
「寝てたのか? 悪かったな。」
「ううん。そんな事無い… 折角だから、上がって! あ、でもちょっとだけここで待ってて!!」
矢射子は、先に部屋に滑り込み、散らかっている物を手当たり次第にクローゼットに放り込んで扉を閉め、玄関の方に声をかけた。
「いいよー。 私の部屋に来てー」
「ああ。 じゃ…お邪魔します。」
全く、熱でふらふらだってのに何で…いやでも宏海がお見舞いに来てくれるなんて超嬉しい!!
矢射子がニヤニヤしていると、部屋のドアが開いて、宏海が入って来た。
「なんかメールじゃ心細いって書いてたけど、結構元気そうだな。」
「そんな事な…」
言いかけた所で、さっき一気に動いた反動が来て、足元がふらついた。
「わっ!! 危ねぇ…」
よろけた体を宏海が支える。 矢射子の顔はもちろん真っ赤だ。
「急に来て悪かったな。 寝てた方がいいか…」
と宏海に言われて、布団をめくった。 布団の中には鬼の宏海人形がある。
きゃー、宏海人形隠すの忘れてたー!!と、見られない様にあわてて布団に潜る矢射子。 だが宏海はそれには全く気付いていない。


……とりあえずどうしよう……
しばらくして、宏海が沈黙を破った。
「…家の中、静かだな…」
「あ、うん、両親共 明日まで旅行に行ってて…」
ってちょっと待って。 明日まで両親が留守って、今は2人っきりだって、なに宏海に説明してんのよあたし。 多分顔赤いし!!
顔を赤らめて、俯いた矢射子に構わず、宏海は話を続けた。
「そうか。 じゃ、心細い訳だな。」
言い終わってから『今はこの家に2人っきり』という事実に気が付いたのか、宏海もまた黙り込んでしまった。 沈黙が気まずいけど、何を喋っていいのか分からない。
また喋り始めたのは、宏海の方だった。
「えっと…昼飯喰ったか?」
「…食欲無くて…」
「見舞い買ってきたけど、家の人はいねぇみてぇだし…台所借りるぞ。 あ、缶切りあるか?」
宏海の突然の発言に、矢射子は思わず顔をあげた。宏海と目が合う。ドキドキするのは熱のせいだけじゃない。自分の部屋に、好きな人と2人きりだからだ。
「? 缶切り? 食器棚の右端の引き出しの中…」
「じゃ、ちょっと待ってろ。」
そう言って、宏海は部屋から出て行った。
何買って来たんだろ? スーパーカメユーの袋だったけど…


…しばらくして、宏海が戻って来た。両手にカップを持っている。
「悪りぃ、カップとかフォークとか、適当に使ったぞ。」
「あ、うん…何持って来てくれたの?」
「桃の缶詰。」
そう言って、宏海は矢射子に桃の入ったカップを渡し、自分はベッドの上に腰を下ろした。 ベッドはギシッと小さく音と立てて揺れる。 矢射子の鼓動もそれに合わせて跳ね上がった。
「も、桃の缶詰??」
桃缶も気になるけど、こここ宏海が、宏海が、私がいつも寝ているベッドの上に!!!
ため息をついて、宏海が話し始めた。
「ウチ、オヤジが過保護でな…」
うん。 知ってる。 融合した時に見た、あのお父さんよね。
「俺が小さい時、熱出したらいつもオヤジに、頭は氷枕と冷たいタオルでガンガンに冷やされて、体は冷えるといけないからって毛布でグルグル巻きにされてな。」
宏海の小さい時…どんな子供だったのかな。
「で、オフクロがそれ見ていつも、やり過ぎだってスゲー怒ってな。」
毛布で す巻きにされた宏海には悪いけど、絵が浮かんで笑っちゃう。


「俺が熱を出すと、毎回オヤジが暴走するし夫婦喧嘩になるしでうんざりしてたんだけど、それでもオヤジにされて唯一嬉しかったのが、熱を出すと桃の缶詰を買って帰って来た事なんだ。」
「で、風邪の見舞いに桃缶しか思いつかなかった。」
宏海の小さい頃の話を聞くなんて初めてだ。 小さい秘密を共有出来たみたいで何だかとても嬉しい。
「ありがと。 あたし、桃の缶詰好きよ。」
「俺も好きか嫌いかと聞かれたら好きだな。 まぁ、甘過ぎだけどな。」
そう言って、宏海は桃を頬張った。
「どうした? 顔が赤いぞ。 熱が上がったか?」 
何気ない言葉なのに、宏海の口から「好き」なんて言葉が出るとドキドキする。 そう言えばはっきり「好き」って言って貰った事無いな。 いつか言ってくれるかな…
「だだだ大丈夫! この桃美味しいね!!」
「まだ喰ってないだろ?!」
あ、いつもの宏海だ。 宏海は私の家でもいつもと同じで、あたしが舞い上がってるだけなのね…


一方 矢射子の方はと言うと、ドキドキし過ぎてフォークが上手く桃に刺さらない。 沈黙の中、フォークがカップにカチカチ当たる音だけが響いた。
「熱で上手く喰えないか…悪かったな。 ほら。」
宏海は桃をフォークで刺して、矢射子の口元まで持って行った。
え、これ、恋人同士がよくやる『あーん』? え? 今ここで??
「…大き過ぎ…」
嬉しい!とか言いたいのに、胸が一杯でこれしか言葉が出ない。
フォークには1/2サイズの黄桃がまるまま刺さっている。
これを好きな人の前で上手く齧れる女の子なんていないよ。
「なんだ、面倒臭ぇなぁ。 ほら。」
宏海は、矢射子の目の前で桃をガブガブと齧り、一口サイズにしてしまった。
「ほら、喰え。 喰わねぇと治んねぇぞ。」
え? ちょっと! 何したのよ?! か、間接キスになるじゃない!! ええええええ?!
混乱している間に、矢射子の口に桃が放り込まれた。
「んっ…」
シロップが、唇の上で光る。
今までで、一番甘くて美味しい桃。
口の中で、溶けるみたい。
甘いのは、シロップのせいだけじゃない。 宏海が、食べさせてくれたから…
…ダメだ。 熱のせいなのかどうか分からないけど、頭も胸も一杯でもう何も考えられない…


「…ごめん、宏海。 ちょっと横になっててもいいかな…?」
「あ、悪かったな。 具合が悪い時に来て…」
「ううん、来てくれて嬉しい。 でもちょっと眠くなって来ちゃって…」
「そっか。 じゃぁ、邪魔したら悪いから、帰るわ。」
ええ? もう帰っちゃうの?? まだ帰らないで欲しいのに…

「…え?」
立ち上がった宏海が振り返った。 驚いているのが目で分かる。
あれ? 私、今、思った事そのまま言っちゃってた? どうしよう?!
立ち上がった宏海が、しばらく沈黙したまま、またベッドに座り直す。 ベッドはまたギシッと小さく揺れた。
「…じゃ、いてやるから早く寝ろ。」
「うん、勝手に帰らないでよ……」
言い終わると、宏海がまだ居てくれるという安心感からか、矢射子はすうっと眠ってしまった。





どれくらい眠っただろう。
「………宏海?!」
矢射子は目を開けると、ベッドから飛び起きた。時計は午後5時を指している。
部屋は電気も消されていて、家中が何だかとても静かだ。
あ、あれ? 宏海がお見舞いに来てくれたと思ったのにいないし…夢だったのかな? そうよね、宏海が桃を口にあーん…なんて、、、なんて!なんて!
ここで我に返ると、パジャマが汗でぐっしょりと濡れているのに気が付いた。 代わりに体はとても軽い。
汗をかいて熱も下がったみたいだし、シャワーを浴びて着替えよう。
そう思って、矢射子は着替えを持って部屋を出た。


シャワーから出ると、リビングのTVが付いているのに気が付いた。
お母さんは旅行に行ったはずだけど…あたし、TV付けっ放しにしてたっけ?
そう思って後ろからソファに近付くと、赤いツンツンした髪の毛が見えた。

こ…宏海?!



宏海はソファに座って、腕を組んで寝てしまっている。 付けっぱなしのTVからは、かろうじて聞こえるか聞こえないかのボリュームで、お気楽な旅番組が流れている。
ああああれは夢じゃなかったの?! 宏海がお見舞いに来てくれたのは!
…そっか、宏海は紳士だもんね…私が寝たあと、起こさないようにこっちに来てくれたのね…
そんな宏海が、何だかとても愛しく思えた。 宏海の腕には、この間の花見の時に付いた、治りかけの火傷の跡がある。
いつもいつも、自分を犠牲にしても、太臓達から私を守ってくれる宏海。 でも、私だって、好きな人の為なら戦える。 私だって、宏海を守ってあげたいよ… その為に、私には何が出来るのかな… どうしたら、宏海は喜んでくれるのかな……
色々考えたけど、すぐには具体的に思い付かない。
…とりあえず、今は、風邪を引かないように毛布ね!
矢射子は、毛布を取ってきて宏海にかけた。
…どうか、まだ起きませんように! まだ帰るって言いませんように!
寝ている宏海を見るのは2回目だ。 1回目は太臓達のせいで融合してた時に見た。
あの時は先輩後輩?敵味方?だったけど、今は違う。 宏海はあたしの彼氏…だ…きゃー!!


「か、彼女なんだから、隣に座ってもいいわよね??」
誰に聞く訳でもないけど、思わず疑問系でつぶやいた。
宏海が座って寝ている隣に座り、自分も毛布を膝に掛ける。 左肩が触れると、自分のパジャマと宏海のシャツ越しに宏海の体温が伝わって来た。
左肩が熱い。 ジンジンする。 布2枚隔ててもこんなに熱い…
「う…ん…」
宏海が体を揺すった拍子に姿勢が崩れ、矢射子の膝に宏海の頭が乗った。
きゃー、ひ、膝枕なんて!! もうダメ…
宏海の上に、何かがパタパタと落ちた。

「…う…ん…何が落ちて……って、、うわ、矢射子?! おまけになんだコレ?? 血??」
「ご、ごめ…」
起き上がろうとした宏海の頬が、矢射子のパジャマの胸の先を掠めた。

!!!

「わ、悪りぃ!!」
矢射子を遮って、今度は宏海がうろたえて謝った。
い、今の、ブラしてないの、分かっちゃったかな??
宏海の顔は向こうを向いて見えないけど、自分の顔が赤くなってるのは分かる。
でも宏海のシャツに鼻血こぼしたのはあたしだし、洗濯しないと!


「ご、ごめん… シャツ洗うから…」
どうしよう。 折角ウチに来てくれたのに、いつもあたしは暴走ばかりだ。 嫌われたかな…
「いや、自分で洗うから。 洗面所借りていいか?」
宏海はさっきから全然こっちを向いてくれない。 相当怒ってるのかな?
「ううん、あたしが…」
と、宏海の前に回りこもうとした矢射子を、目を合わせないようにして宏海が手で遮る。
「…俺も、男だから、、今 矢射子を見ると、その、ナンだ、押し倒しちまいそうでヤバいから、、な?」
矢射子はその言葉に、恥ずかしいと思うよりも先に、嬉しいと思う自分に驚いた。 自分の大き過ぎる胸は、武器にもなるけど、コンプレックスも少しあった。 周囲の男共は誰も彼も、矢射子の気持ちより言葉より、胸ばかりを気にするのだから。
でも、宏海は違う。 こんな時でもあたしを気遣ってくれる…
「体にもかかったからシャワー借りていいか?」

(ヤベェ。 水でも浴びとかねぇと俺の方が暴走しちまう…)

「え? あ、、うん… お風呂場はこっち…」
矢射子の説明が終わる前に、宏海は無言で風呂場に向かった。




しばらくすると、リビングにいる矢射子にも、シャワーの音が聞こえて来た。
あ、タオルくらい用意しないと… 宏海の着替え、どうしよう?
矢射子はタオルを持って、脱衣所からドア越しに風呂場の宏海に声を掛けた。
「あ、あの…宏…海?」
キュッと蛇口を捻る音がして、シャワーの音が止まった。
『…矢射子?』
ドアの向こうから、驚いたような宏海の声だけが響いて来た。
「タオル、ココに置くから…」
『悪りぃな。』
「…汚しちゃったの、あたしだから…ごめんね。」
『気にしてねぇよ。』
見えなくても分かる。苦笑いしてるんだろうな。
「あ、汚れたシャツは?」
『簡単に洗ってそこに置いた。 乾かしといてくれるか?』
「うん…あ、あの、着替え…」
『下は無事だっから要らねぇよ。じゃぁ後でな。』
矢射子は、シャツを乾燥機に入れて、リビングに戻った。




また鼻血噴いちゃった…
さっきまで凄く幸せな気分だったのに、自分かやらかした結果を見ると何だかもう泣きそうになる。 折角一緒に居るのに…またいつもと同じ失敗をして…
リビングのソファにうずくまって座る矢射子に、シャワーから出た宏海が声を掛けた。
「シャワー、ありがとな。 寝て具合が良くなったみてぇだし… 俺、服が乾いたら帰るから。」

え? ……嫌だ…帰るなんて言わないで!!!

口よりも先に、体が動いた。
自分でも信じられないけど、宏海に正面から飛び付いた。
目の前には、宏海の裸の厚い胸板がある。
「…矢射子?!」
頭の上から、上ずった宏海の声がする。 飛び付いといて何だけど、恥ずかしくて顔を上げられない。 体が震える。
宏海は、矢射子を拒絶する事も、抱き寄せる事も出来ずにいた。



「……か…帰っちゃ…ヤだ…」
固まったままの宏海が答える。
「意味分かって言ってんのか?!」
「うん…」
少し間を置いて、宏海の右手の先だけが、矢射子の髪に触れた。 それ以上は決して触れて来ない。 矢射子はそれに気付いて、宏海の胸に頭を寄せた。
宏海の心臓の音が聞こえる…心臓の音を聞くなんて、初めて。 初めてなのに、懐かしい気がするのは何でかな。 不思議。 震えも止まって何だか落ち着いて来た…
矢射子は、口をきゅっと結んだ後に、一気に喋った。
「…やっと付き合えるようになったのに邪魔されてばかりで…ずっと、宏海の事が好きだったの。宏海ばかり見て来たの。…好きだから、もっと一緒に居たいの。……ダメ?」

(…矢射子にここまで言わせて何してんだ俺は……ごめんな。かなり勇気が要ったよな。)

「…ダメな訳…ねぇだろ。」


宏海の左手が、矢射子の体を強く抱き寄せた。 右手は、髪を優しく撫でる。 触れられた部分から、一気に体温が上昇する。
「…宏海…体温高いね…」
「…矢射子は柔らかいな。 良い匂いもするし…」
矢射子が顔を上げると、宏海の顔が近付いてきた。

キス。

凄い、気持ち良い。 キスがこんなに気持ち良いなんて知らなかった。 何だか頭がぼうっとする。
抱きしめあって、何度もキスを繰り返すと、2人の心の距離もゼロになる。
嬉しいけど、でもちょっと強く抱きしめ過ぎだよ宏海。 それにあの、あの、あたっているのはあああああの…
「ごめ…ちょっと痛い…」
「あ、悪りぃ。」
そう言って手を緩めた宏海は、少し間をおいて、大きく深呼吸をした。



(喧嘩は散々したけど、女の子の扱い方なんて分かんねぇしな……でも、)

「矢射子。」
「なに?」
「…一度しか、言わねぇからな。 ………好きだ。」
「え?? 今なんて…」
「一度しか言わねぇって言ったろ。」
そう言って、宏海はまたキスをした。
どうしよう?! 超嬉しい! 宏海が『好き』って言ってくれた! あたし、宏海に愛されてるって思って良いよね? そう思ったら、涙がちょっと滲んで来た。
それに気付いた宏海は、手で涙を拭って、瞼の上にもキスをした。



宏海の手が、パジャマ越しに矢射子の胸の上に移動する。
大き過ぎる私の胸だけど、宏海はガラスを扱うみたいに優しく触れてくれる…
「…んっ…」
ヤだ。 何でこんな声出ちゃうのよあたし。
今度は、耳朶に宏海のキスが来た。 手は変わらずに優しく胸に触れたまま…
「…んっ…ゃぁ…っ…」
ホントに何でこんな声出ちゃうの? 好きな人に触られるのって、こんなに気持ち良いの? でも、ちょっと恥ずかしい。
「あ、あの、宏海…」
「…何だ?」
答えながらも、宏海は何度も首筋にキスをして、手はそのまま動かし続けた。
「…電気は、、んっ…け、消さない…の? あと、カーテン…」
「消したら見えねぇし……ダメか?」
見たいって思ってくれてるの? 嬉しいけど…でも恥ずかし過ぎる!
「ヤ…だ…絶対っ…消し…て…」
「……分かった。」
そう言って、宏海は部屋の電気を消した。 『パチン』という音だけが、静かな部屋に響いた。


--終--



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