宏海×矢射子
2006/10/18(水) 04:22:39 ID:rztLZocU


気づいたときには大分ひどくなっていた。これくらい平気とたかをくくっていたが、まさかこんなに強くなるなんて。
ベストが水を吸って重くなる。雨宿りをするよりは早く家に帰った方が賢明みたい。そう思って走り出した矢先だった。
「傘、ないのか」
丁度通り過ぎようとしたコンビニから、買ったばかりとみえる傘を持ったアイツに声をかけられた。
突然で、緊張して、声がでない。
「ぁ、ぁぁあ、あく...」
濡れた体は寒さを感じているのに、体の中から熱くなる。力が抜けて落ちそうになる鞄を、落とさないようにするだけで精一杯だった。
「そう身構えんなよ。太臓ならいねーから」
言われて初めて気づいた。確かにいつも一緒にいるあの変態おにぎり太臓も、目つきの悪い小さいのもいない。いるのは、阿久津だけ。
「ほら、傘、ないんだろ?どんどん濡れてるぞ」
ビニール傘をガサガサ広げながら、阿久津の身体が近づいてくる。ついその分だけ後ろに下がってしまう。
「だから身構えんなって!風邪引いたら困るだろ」
心配を含んだ口調。阿久津が、あたしのこと考えてくれてる。阿久津が、あたしを同じ傘に入れてくれる。


顔が赤くなるのがわかる。今、阿久津と並んで歩いてるなんて。一つの傘で、相合い傘なんかして歩いてるなんて。
「ありがと...」
珍しく素直に言葉がでた。すごく小さくて、しかも俯いて言ったから阿久津に聞こえたか不安だった。
「な、なんで今日は一人なの!?」
恥ずかしくて、すぐに話題を変えた。もしさっきのお礼が聞こえてなかったら、阿久津に礼もできない女って思われちゃってるのかな。
阿久津は特に表情を変えずに言った。
「いや...途中まではいたんだがな。いきなり雨降ってきたから、太臓が暴走しやがって」
太臓は下校途中のブラが透けるチャンスだ!と突然来た道を戻っていき、悠もそれについていったと話した。
相変わらずの変態に、今だけはお礼を言っても構わない。阿久津と二人で、邪魔されずに話せるんだから。


「ふぇ...くしゅ!!」
くしゃみ一つでもつい不安になってしまう。今のくしゃみ、オヤジっぽくなかったわよね?阿久津に引かれたりしてないわよね?
それだけで心臓が早くなる。相変わらず顔も赤いままだ。阿久津に気持ちが気づかれないか、さらにドキドキしてしまう。
「大丈夫か?」
「え?」
思いがけずに視界に阿久津の心配そうな顔が写る。普段つり上がってる眉毛が心なしか下がっている。
「べ、別に...心配してもらうほどじゃ!」
そんな表情見せられたら平常心なんか保てない。恥ずかしくて、こんな顔みられたくなくて、つい反対側に顔を背けた。
「ならいいけど...無理すんなよ。」
阿久津はやっぱり優しいなぁ。すれ違う人が、やたら赤いあたしの顔を見て少し笑った。
「矢射子」
その赤い顔を、振り向いて阿久津に見られてしまった。でも、見られたことよりも名前を呼ばれたことの方が恥ずかしかった。
「なななな、何よ!?」
声が裏返った。阿久津がきょとんとして、それでもじっとあたしを見てる。変な奴って思われちゃったかな。
「...家、どの辺だ?」
「ぇ、あ!あっち、あっちよ!あっちの方に10分ぐらい...」
「10分か...」
オーバーすぎるぐらいに家のある方を指さした。阿久津が何を考えてるのかわからなくて、次の言葉を待った。
「うち、来るか」


『阿久津』
表札を前に緊張が高まる。まさか、まさか阿久津の家に呼んでもらえるなんて。
ちょっと片付けるから待ってろと言って阿久津は横にいないけど、そんな淋しさより、ドキドキと阿久津に対する好きって気持ちが頭を占める。

「うち、来るか?」
言葉を発した唇まで見ていたのに、その意味を理解するのに時間はかかった。
「ぅううう、う、うち!?ぁ、あっ阿久津の!!?」
驚きでつい立ち止まって、阿久津と距離が離れた。雨で、濡れる。
「ああ、今ならうるさい奴いねーし。そのまま10分も歩いてたら風邪引くぞ」
阿久津が振り向いて傘を差し出す。また距離が縮んで、歩きだした。
「ありがと」
また素直に、今度ははっきり言葉がでた。

ドアが開く。阿久津はまだ制服のままで、あたしを入れてたせいか左肩だけ濡れていた。
「散らかってっけど気にすんな」
「気になんかしないわ」
阿久津の普段のままが見れるんだから!胸で思った言葉を口には出さなかった。
「そこの段差気をつけろよ」
赤い悪魔と呼ばれた男がこんな細かいところまで心配してくれるなんて、すこしくすぐったい。
阿久津の部屋はそんなに散らかってなくて、マンガとかゲームとか筋トレ器具とか、明らかにひきっぱなしだった布団とか、そんなものが隅に追いやられてるだけだった。


「結構濡れてんな。風呂入るか?」
濡れた体と服で座るのが忍びなくて、立っていたあたしに阿久津が聞いた。
「ぉ、おおお風呂?」
また声が裏返る。おまけに噛み過ぎで決まりが悪い。
「風邪引いたら困るだろ。遠慮すんな」
鞄だけ部屋に置いて、阿久津の優しさに甘えることにした。本当は阿久津に先に入ってほしいけど、阿久津は優しいからあたしに譲ってくれた。
「タオル、こん中あるから」
お風呂場まで案内して、それだけ言うと阿久津はドアを閉めた。律儀なんだなぁ。
水を含んだベスト。すこし透けたワイシャツ。ところどころ濡れて斑点模様になってるスカート。それに下着。
全部脱いでカゴに入れた。下着まで湿っていた。
浴室に入って、忘れていたリボンを解く。濡れないように鏡の前に別にして置いた。

このシャンプー、阿久津が使ってるんだ。この石鹸、阿久津が使ってるんだ。このタオル...
そんなことを思いながらの入浴は早かった。気持ちの問題でもあるが、阿久津にも風邪を引かれては困る。普段の半分以下の時間で、急いでお風呂から上がった。
タオルで体を拭く。タオルはフワフワしてて、水分をすぐにとってくれた。
このタオルも阿久津が使ってるのかな。いけない、また鼻血がでそう。
「あ...」
ここで初めて着替えに困った。せっかく阿久津が心配してお風呂に入れてくれたのに、濡れた服をまた着たら意味がない。図々しいけど、着替えを借りるのが一番だろう。
「阿久津ー...阿久津ー!」
タオルを体に巻いて、少しだけドアを開けて叫んだ。
「阿久津ー、ねー、ちょっと...」
しばらく呼んだが反応はない。でも、このまま待ちぼうけても阿久津がお風呂に入る時間が延びるだけだ。
「...ちゃんとタオルで巻けば平気よね」
Gカップの胸をちゃんとしまうと下が見えてしまうため、ギリギリまで下げて、ちょっと破廉恥だけど谷間ぐらいしょうがないと覚悟を決めた。
廊下をゆっくり歩き、阿久津の部屋の前でもう一度呼ぶ。
「ねぇ、阿久津。すごい図々しいんだけど...ぃ、いやだったらいいの!あの...着替え、貸してもらえないかな...」
最後の方は声が小さすぎて聞こえなかったかもしれない。阿久津にこの姿見られて、はしたないって思われたらとか考えたら急に自信がなくなってしまった。
それでもやはり反応はなくて、もう一度タオルをチェックしてからフスマを開けた。


「阿久津...?」
隅にある布団に上半身だけ乗せて、阿久津はいた。ドアに背中を向けてたけど、規則的な呼吸で寝ているのがわかった。
「阿久津...お風呂上がったわよ?」
軽く揺さぶってみたが起きない。阿久津は濡れた学ランを脱いでワイシャツ姿だった。触れたとこからじんわり体温が伝わる。
揺さぶったせいか、阿久津は一度手を払って寝返りを打つ。こっちを向いたと思ったらすぐに天井に顔を向けた。
「起こしたら悪いかな」
幸い阿久津の部屋は暖かい。少しぐらいこのままでも大丈夫かな。
脱ぎ捨ててあった阿久津の学ランをハンガーにかけて窓辺に吊す。人の家だからとも思ったが、乾かすために自分の制服も掛けさせてもらった。下着は見えないように隠しながら干した。
「あーくーつー」
手持ち無沙汰になり、また阿久津に声をかける。やっぱり反応はない。
「...宏海」
初めて口にした下の名前。これも阿久津には届かなかった。


寝ているんだからと手をとってみた。
大きくて、暖かい。
指を絡めてみたり、じーっと眺めてみたり。
それに飽きると、空いてる手で髪の毛をいじってみたり。
そしたら、阿久津が起きた。

「ん...」
ゆっくり阿久津の目が開いて、目があった。
「きゃっ!ぉ、おおおおはよう!」
絡めていた指を素早く外し、髪をいじっていた手もひっこめた。何だこいつって思われてないかしら?
阿久津は一度髪をかき上げて、上半身を起こした。ボタンとボタンの間から、肌が少し見えた。
「あ...わりぃ...て、お前!!」
私の姿を認知して、謝るやいなや思い切り首を反対に向けた。阿久津の耳が赤い。
「なな何だ!服着ろ、服!!」
ああ。言われて自分の格好を思い出した。思い出したと同時に恥ずかしさがこみ上げて、阿久津に嫌われちゃうって思った。
「あっ、ち、違うのよ!せ、せっかくお風呂入れてもらったのにまた濡れた服着るのって変でしょ!?あ、阿久津に、それで、服借りようと...」
必死に状況を話すうちに涙がこみ上げてきた。阿久津が私を見てくれない。照れてるのかもしれないけど、はしたないって思われて嫌われちゃったんじゃないかって思って。
「だから...ゎ、私...違、違くて...変な子じゃ...ぁの、阿久津が...」
これで泣いたらますます変な子に思われるってわかってたのに涙は止まらない。阿久津の方を向くこともできずに、俯いて涙を隠すことしかできない。
下を向いたまま何か気配を感じて、それがそのまま私を覆った。


顔を上げると赤い髪が目に入った。特徴ある阿久津の髪。
「わかったから...んなことで泣くな」
阿久津に抱きしめられてる。私、今、阿久津の体温感じてる。
そう思ったら涙は余計に流れて、顔は赤くなってきた。動悸は、きっと聞こえてる。
「とりあえず落ち着け」
ぐって引き寄せられて、顔が阿久津の胸に埋まる。肩に置かれた阿久津の手が、熱い。
「う、うん...」
阿久津の匂いを、体温を全身で感じる。ワイシャツはまだ湿ってるのに、寝てた阿久津の肌は心地いいぐらい暖かい。
「ごめん、阿久津...落ち着いた」
顔を上げて、体温に名残を感じた。阿久津の顔は優しくて、私の言葉を聞いてにこって笑った。


「そんな格好で待たせて悪いな」
阿久津がそう言って立ち上がろうと腰を上げる。阿久津と、離れたくない。
「...矢射子?」
気づいたら阿久津のワイシャツの胸元を引っ張っていた。顔の距離は、近い。
阿久津の視線が私の顔とその少し下、胸の辺りをさまよってる。顔は赤い。
「矢射」
開いた唇に口づけた。キス。あ、私、初めてだ。
阿久津がびっくりして目を見開く。それだけ確認して私は目を閉じた。
乾をいじめてるときより、太臓を打ちのめすときより、断然気持ちがいい。
阿久津が体を引こうとしたのを首に腕を回して阻止した。阿久津と、離れたくないから。


唇を離すと見たことないぐらい真っ赤な阿久津の顔が目に入った。あたしの顔も湯気がでそうなぐらい熱い。
「お前っ...!」
阿久津がまた体を引こうとして、それを離すまいと強く抱きしめた。胸に、少し、圧迫感。
あたし、何してるのよ。阿久津に嫌われちゃうよ。でも、阿久津とのキス、気持ち良かったな。
「阿久津...」
阿久津の眉がまた下がってる。今度は、困ってる。
「バカか、お前は」
やっと阿久津から出た言葉はこれだった。声の調子が苛立ってる。
「雰囲気に飲まれて何してんだよ!ったく...」
強い力で体が離される。阿久津の視線が、痛い。
肩で受けていた力が消え、阿久津の顔も視界から消えた。顔だけじゃなくて、体も。
横にあったタンスから、多分一番上にあった服を背中にかけられた。
「男物だけど濡れた服よりマシだろ」
あれ、これ見たことある。確か、誕生日に阿久津が着てた...
黒いシャツはあたしの体を隠すには十分な大きさで、阿久津が前のボタンは自分留めるように言った。あたしが返事もしないで固まってると、阿久津は部屋を出ていった。
「下もなんか適当に履いとけ!!」
それだけ言って。


阿久津が出ていってしばらくして、かすかにシャワーの音が聞こえた。
そっか、阿久津、お風呂まだだったもんな。阿久津が風邪引いちゃってたら、ヤだな。
阿久津の部屋。阿久津の服。阿久津の匂い。阿久津のことしか考えられない。
でも、最後に見た阿久津の顔は呆れ顔だった。困惑と、軽蔑を含んだ感じの。
嫌われちゃったかな...
阿久津に借りた服のボタンも留めないで、ただ泣いた。服があるから、巻いていたタオルを外して、ぱたぱた落ちた涙を拭った。後から後から溢れてきて、最後にはタオルに顔を埋めて泣いた。
「矢射子」
フスマの向こうから声がする。もちろん、阿久津の。声の調子はいつも通りだと思った。
「服乾くまでは俺の部屋使っていいから」
その言葉だけで理解はしたけど。口を衝いて出る言葉は止められなかった。
「阿久津は?」
「...用があったら呼べよ」
それだけ言うと、阿久津は黙った。それでも別の部屋に行くとかじゃなくて、フスマを隔てた向こう側にいるのはわかった。


やっぱり涙は止まらなくて、フスマ一枚向こうに阿久津がいるってわかってても嗚咽がでる。それが雨の音と調和して、淋しさをさらに掻き立てる。
自分の家だったら犬千代にまさる、ゆきじに...鬼の宏海が慰めてくれるのに。今一番近くにいるのは、本物の阿久津だ。
ああ、もう。絶対に呆れられてる。嫌われてる。
「矢射子」
名前を呼ばれて、ドキッとした。不意打ちすぎる。
「俺はどうしたらいい」
続いた言葉は予想外で、答えは上手く出なかった。言いたいことは決まっていたのに。
「...好きにしたら?どうせ...面倒な女拾ったとでも思ってるんでしょ!...追い出せばいいじゃない...」
可愛くないなぁ、あたし。言った後に後悔しても無駄だってわかってたのに。今までので十分わかってたのに。
「...わかった」
しばらく間があって、阿久津の返事がした。それと、立ち上がる音。他の部屋に移るかと思ったその足は、勢いよく開けられたフスマの敷居を越えて近づいてきた。
心臓が、飛び出そう。


背後から近づく阿久津の顔はわからないけど、不思議に怖くなかった。ただ、ドキドキした。
すぐ後ろで動きが止まって、気配が近づいた。視界の隙間から見えたのは、折り曲げられた阿久津の足。
死角から頭に手が置かれて、3回軽く叩かれた。その後、ゆっくり優しく撫でられた。
「とりあえず泣き止んでくれねえか」
阿久津が体勢を変えて、後ろからあたしを足の間に挟むように座った。手はまだ頭の上にある。阿久津の体温が、今度は背中に戻ってきた。すごく、暖かい。
「...女の子の扱い、慣れてるのね...」
また赤くなった顔を見られたくなくて、相変わらず阿久津の顔は見ないまま憎まれ口を吐いた。本物に可愛くない。
「伊舞が...妹がいるからな」
阿久津とお揃いの赤い髪の少女の顔が浮かぶ。素直そうで、可愛い子。誕生日にはパーティーを開いちゃうぐらい、お兄ちゃん子のあの子。
妹に嫉妬するなんて、いつからこんなに心が狭くなったんだろう。
「阿久津」
泣きすぎですこし腫れた瞼が自分でもわかる。阿久津にこんな顔見られたくないけど、衝動が強すぎた。
阿久津が反応する前に空いてた左手をとって胸に押しつけた。一瞬たじろいだ阿久津の顔は、振り向いたあたしを見て真っ赤になった。
「妹にできないこと、してよ」


阿久津の視線は、はだけたままのあたしの体に釘付けだった。そういえば、下を履くように言われたのに履いていない。普段のあたしなら絶叫して死にたくなる。けど、このときだけは平気だった。
押しつけて握らせたあたしの胸が、阿久津の手の中で形を変える。阿久津は自分から握りはしないもの、手を払うことはなかった。
阿久津と視線がかち合う。お互い真っ赤な顔を徐々に近づけて自然にキスをした。
頭に置かれた右手が肩まで降りてきて、ギュッと抱かれる。左手には力が入った。
「...後悔すんなよ」
「しないわよ」
多分、今までで、一番はっきり言った。


体を強く押されて後ろの布団に倒れる。倒れた瞬間、ばふっと阿久津の匂いが広がった。
今、あたし、阿久津の中にいるようなものね。あたしと阿久津しかいない阿久津の部屋の、阿久津の布団の上で、阿久津の服を着て、阿久津に抱かれる。ステキな阿久津地獄じゃない。
「上、脱いでよ」
阿久津の体温がほしくて、ランニングの裾を引っ張った。すぐに阿久津の引き締まった体が現れる。
脱いだと思うと、阿久津はあたしをきつく抱いてまたキスをした。最初は触れるだけの。段々激しく。
「んっ...!」
初めて舌が触れたときは、その感触に驚いて、つい体を竦めてしまった。阿久津はあたしを離すことなく奥まで舌を入れる。まるであたしを味わうみたいに、じっくり時間をかけて。
あたしの意識はとろけ始めて、今まで以上に阿久津のことしか考えられない。
阿久津の左手は胸から離されて、今は右手同様あたしを抱いてる。自慢の胸は押しつぶされながらもあたしと阿久津の隙間を埋めていた。
「そんな顔すんな」
阿久津の息があがってる。唇を離して目を開けたとき、阿久津は決まり悪そうに視線をそらした。
「なんっ...!」
投げかけた疑問は途中で遮られた。阿久津があたしの頬から耳にかけてキスを降らせる。くすぐったくて、触れたとこから熱くなる。
「やっ、んん...」
珍しく解いたままの髪を阿久津がかきあげる。自分でもわかるくらい、阿久津と同じ香り。
「すげえエロい」
阿久津が耳元でそう囁いて、あたしの顔がさらに爆発する前に、そのまま耳朶を舐め上げる。
「ひゃっ!だ、だめよ阿久...汚...!」
「聞かねえよ」
左手が、胸に戻る。感触を楽しむみたいに、敢えて弱いところに触れない触り方。阿久津の大きな手が、胸に吸い付く。
相変わらず舌はあたしの耳を攻めて、阿久津が囁く度に反応してしまう。その舌がまた唇に戻ってきて、離した後阿久津が言った。
「もう止まんねえからな」


阿久津の顔はもう赤くない。あたし一人、蒸気が出るぐらい恥ずかしくて、緊張してて、すでに感じてしまっている。
「好きに...しなさいよ」
それだけ言い終えた後、まっすぐ阿久津を見れなくて、つい視線を顔ごとそっぽに向けた。自分から言い出したのに、大切なとこで素直になれない。
阿久津はそんなあたしを見て笑った。
「可愛くねえな」
あたしが反抗する前に阿久津はまたキスをする。あたしを黙らせる方法はこれが一番だと思ったのかな、順応性高すぎ。
阿久津はキスしたまま左手を滑らせる。強さを変えて胸を揉んでみたり、たまに弱いところに触れてくる。たまらず声を出すと、阿久津は嬉しそうに笑った。
「声我慢すんなよ」
一度だけ頭を撫でられる。悔しいけど、やっぱり安心しちゃう。
阿久津は口を緩めたままの顔をあたしの胸元に埋めて、少し汗ばんだ胸の谷間を舐めた。その舌はそのまま左の胸の一番弱いところを舐め上げる。
「あんっ!ぁ、あ...ゃあ!!」
あたしの声に満足したのか、阿久津は舐め方を変えながら執拗に胸をなぶってくる。たまに噛んでみたり、吸ってみたり。
右胸にはやっぱり大きな手が添えられてて、ぐにぐにと弾力を楽しんでる。もう痛いぐらいに堅くなってる先端との差を比べるみたいに。


「あ、あんっ!やっ、ん...んん!」
息が切れ切れになる。阿久津はたまに顔を上げて、あたしの顔をのぞき込んだ。
「たまんねえな」
一瞬親父くさいセリフとも思ったが、そんなこともすぐに流れるような快感。
「これだけでかいと母乳でも出てきそうだな」
「ば、かぁ...!」
阿久津はまるで子供みたいに、必死で胸を吸った。あたしですら本当に母乳がでてるんじゃないかって思うような熱心さで。
「ゃ、阿久...つ、ぅ!ダメ、だめ...!!」
既に頭が真っ白になりかけて、本能が阿久津に制止をかけた。背中に回していた腕が、気づいたら阿久津の肩を押していた。
そこで初めて阿久津の動きが止まった。胸から腕も視線も離して、あたしの顔をじっと見てる。
段々阿久津の顔が近づくと、真っ赤なあたしの頬を両手で挟んで、そのままキスをした。
「止まんねえって、言ったろ」
あたしの目をまっすぐ見て、阿久津は笑った。


阿久津の顔が、また視界から消える。どんどん下にいって、おへその辺りで止まった。阿久津の髪が、胸に刺さる。なんでお風呂上がりなのにこんなにツンツンなのよ。
気をそらしていたらぺろりとその部分を舐められて、くすぐったくて、つい裏返った声がでた。
「ひゃあ!!」
阿久津は気にしない素振りで、その辺りから上下左右に舌を滑らせた。その度にあたしはゾクッときて、やっぱり裏返った声を出す。脇腹を舐められた時は、つい堪えきれずに笑ってしまった。
「もう少し色気ある声出せよ。さっきみたいに」
「さっきって...ああ!!」
突然、下半身に感触。阿久津の空いていた手が、入り口をなぞる。自分でも、もうそこが濡れているのがわかった。
「や!ぁ、阿久津っ!!あっ!」
ぬるぬると指を滑らせているだけなのに、あたしはどんどん熱を持っていく。阿久津の舌は相変わらずおへそ辺りを舐めてたけど、それすらも気持ちよく感じた。
あたしが体をよじらす度に、阿久津は入り口の少し上、女の子の弱点を突いてくる。おかしくなりそう。
「ひゃ!あ、ぁんっ!や、だっ、阿久...んん!!」
それでさらに体を動かすと、阿久津はやっと指を入り口に添えて、ゆっくりと差し込んだ。1本なのに、阿久津の太くで長い指は圧迫感が十分だった。
「うおっ、熱!」
阿久津が少し驚いて、顔を上げた。上げた顔と目があって、恥ずかしさから逃げるように目をそらした。
「こっち向けよ」
阿久津の声。トーンが笑ってて少しムカつく。なによ、余裕ぶって...
あたしがなかなか視線を合わせないと、阿久津は中に入れた指を、単純な出し入れとは違う動きをさせた。指を曲げてみたり、回してみたり。
「ああっ!!あっ!はぅ...ぁあん!!」
与えられた快感は大きくて、つい目をつぶって喘いでしまう。顔を隠そうと腕を回すと、それは両方ともあっさりと阿久津の片手に抑えられた。
「顔、隠すなよ」


阿久津のもう片手は激しくあたしを攻め立てる。慣れてきたのかスピードが早い。音が、気になる。
「無理...んっ!は、恥ず...かしくて、死、ぬ...ぅあ!!」
かなわないとわかっている腕力を、それでも抵抗してしまう。目を開けると、意外にも余裕のなさそうな阿久津の顔が目に入った。眉もつり上がって、息が上がってる。
あたしの視線に気付いて、阿久津はまた笑う。少しきつそうな、それでも優しい笑顔。
「見せろよ。せっかく可愛いんだから」
言われた瞬間、阿久津が何を言ったのか理解できなくて、自分が少し冷めたのがわかった。目を見開いたら、やっぱり阿久津の笑顔があって、それを見てまた赤くなった。あたしは黙ったまま阿久津の首に両腕を回して、精一杯の声で言った。
「あ、んまり...見ないでっ...よ...?」
阿久津は動きを止めて、きょとんとした表情を浮かべた。でも、すぐにあたしの胸元にキスを落として動きを再開する。
「約束しきれねえな」


阿久津の視線が痛い。にやにやしながらあたしを見てる。あたしがキッと睨むと、わざと指を止めた。
「っ...悪趣味!!」
「怒んなよ」
阿久津はまたキスを落とす。胸元に落として、すぐに離した。
「危ね」
ちょっと焦って、それをごまかすように指を動かした。なにが危なかったのか、聞こうとした口から喘ぎが漏れる。
阿久津は今度はあたしの足の付け根に目を落として、あたしと視線を合わせない。
「ぁあ!!んん...っ、ふぁ...」
顔を見られるより恥ずかしくて、意識がそちらへいった瞬間だった。阿久津が、動かした指を一気に抜き、代わりに指を増やしてまた入れた。自分でもきついと思った2本の指は、ずぶずぶと入るとすんなりと動いた。また、顔が赤くなる。
「意外に入るもんなんだな」
口を緩めた阿久津を見て、横腹につい蹴りを入れた。なんで恥ずかしいことをあっさり言うのよ、この男は!!女の子はデリケートなのよ!
阿久津は驚いて、あたしの顔をみた後、蹴りを入れた足を見て、さらに言った。
「痛えじゃねえか」


「や、だぁ!!阿久、津!ああっ!だ...めぇ...!」
阿久津はあたしの左足を抑えるなり、そのままひざが胸につくまで持ち上げた。阿久津が指を動かす度、卑猥な音が大きく聞こえる。
たまに空いてる親指で、弱いところをぐりぐり弄る。そうされると、あたしは何にも考えられなくなって、なすがままになってしまった。
「ん、ああっ!はっ...ァんっ!!んんー!」
汗ばんだ肌に髪の毛張り付く。顔にも張り付いて、何本かは口にも入ってきた。それを直す余裕は、あたしにはなかった。
阿久津が触れた胸に刺激が走った。下からくる快感と、また違う快感。そのまま阿久津はあたしの胸を口に含んで、また弱いところばかりを舐めてくる。
阿久津の赤髪がまた視界に入って、それから荒い息が聞こえた。触れていない、あたしの胸と阿久津の額の間に、熱がこもる。
あたしが阿久津の首に腕を巻き直すと、阿久津が顔を上げて、無言で指を抜いた。
「阿久...」
「ちょっと待ってろ」
あたしの呼びかけを遮ると、阿久津は立ち上がって鞄を漁り始めた。足に、解放感。阿久津はすぐに目の前に帰ってきて、あたしの頭を撫でた。
「俺、あんま余裕ないからな」
衣擦れの音。恥ずかしくって、阿久津が何をしてるのか見れない。誘った時からの覚悟が揺るぎだした。今更だけど、怖い。でも、阿久津だから。
ぎゅっと目を瞑っていると、阿久津があたしを抱きしめた。阿久津の体は、あたしの足の間にある。
「阿久津...」
ほのかにやわらかい石鹸の香りが、熱気でしっとり湿った阿久津の肌からくる。そのギャップに少し気が紛れた。
阿久津の肌が離れたと思ったら、下半身に違和感。目を開かなくてもわかる、阿久津の存在。
よくこれって熱いとか固いとか聞くけど、全然熱くないんだ。
そんなことを思った。


「かっ...ぁ!」
ズンと阿久津が押し寄せてくる。指とは全然違う、圧迫感。ぐりぐりと腰を押し進める阿久津に、体を引くあたし。
「やっ!やぁーっ!!ぁく...いたい!」
体を引いて背中に壁が当たると、恐怖に耐えきれず涙が出てきた。腕は阿久津の肩を押し返して、口は大声で拒否を示した。
阿久津は舌打ちをすると、あたしの腰を掴んで深く突き進んできた。声も出せないぐらい、下から責め立てられる。
「...っ...ぁ...!」
声が声にならず、息だけが激しく漏れる。涙が止まらなくて、あれほど愛しいと思った阿久津が、怖くて仕方ない。
初めてって、こんなに痛いの?全然気持ちよくない。苦しい。
自分で限界なんじゃないかって思うぐらい阿久津のモノはあたしにはきつい。阿久津が勢いをつけて押し込まないと全然奥まで入ってこない。
「あくっ、つ!いた、ぃたい……やっ!うー…っ!!」
ギリギリまで抜いてから、また肌を密着させる。あたしの顔は涙とか涎とかでぐちゃぐちゃで、でもそれを気にしてる余裕なんかないぐらい痛みが浸食していた。
痛い、痛い。気持ち悪い。阿久津と一つになれてるのに、笑えないよ。
本当は幸せでいっぱいのはずなのに、阿久津に意思表示をできない。何よりも痛みが、下半身の違和感が勝っている。
「...矢射子」
阿久津が不意にあたしを引き寄せて、繋がってる部分に一際圧力がかかった後、動きが止まった。
「辛いか...?」
抱きしめられて見えない阿久津の顔。肩で息をしていて、汗がぺっとりしている。あたしは言葉に表せない思いを込めて、その肩に手をまわして力が入らないながらに抱きしめ返した。
「あ...く、つ...」
体内で阿久津が反応する。
「きゃっ!!な、な...」
ピクッと振るえた阿久津は、少し決まりの悪そうに、あたしの背中にまわしていた腕を片方外して髪をかきあげた。肩に、水滴。


「悪ィ...」
阿久津は長いキスをしてあたしの顔を見た。あたしのこぼれる涙を指先で払って、くしゃくしゃになるくらい頭を撫でた。
「...何、が?」
下半身の痛みとキスの余韻が混ざる奇妙な感覚。悪くない。
キスされてる間は、阿久津の舌の動きに意識が取られて痛みは和らいだ。その影響か、痛みも徐々に引いていく。まだ動くと痛そうだけど。
「...や。なんとなく、だな」
変な阿久津。あたしは言葉にはせず笑顔を返した。きっと冷や汗かいて、それでも赤い顔で、引きつった笑い顔なんだろうな。
大きく深呼吸をして、阿久津の手を握った。もう、怖くない。
「阿久津...」
握った手に力をこめる。汗で滑る手を、それでも必死に絡めて離れまいとした。
目をつぶってキスを求めると、阿久津はしばらくしてから唇を重ねた。絡み合う舌。熱く荒い息。
「ん、ん...」
ゆっくりと下半身に押し寄せる波。阿久津は少しずつ、じっくりと腰を動かしてあたしの様子をみてる。下がり眉の阿久津に、あたしは笑顔で応えた。
阿久津、あたし、すごい幸せ。伝わってる?
答える代わりに阿久津の動きが早くなる。さっきはあんなにきつかったのに、今は余裕すらある。恥ずかしい音も、聞こえる。
「あ!やっ、はァ!!んっ、んァぁ!!」
阿久津が攻め寄せる度、自然と声が漏れる。あたしの声と、阿久津の呼吸と、粘り気のありそうな水音。
阿久津はスピードをあげるにつれて動きにくそうに、握った手を片手だけ外してあたしの腰に添えた。
ぐんっ、と奥にまで阿久津の存在。
「んァあっ!!ふぁ...やぁ、ンっ!ぁあ!」
「矢射子...矢射子...」
「んんっ!!あっ、ア!や、あくっ!!んン!!」
阿久津の声が聞こえにくい。自分の声でかき消してるのもあるが、阿久津の声に集中できないぐらい快楽が押し寄せてきてる。
汗か涙かわからない液体が目尻から伝う。段々口数の少なくなった阿久津を意識してパッと開けた目から、今度ははっきりと涙が流れた。
開いていた左手でそれを拭おうとすると、あたしを凝視してた阿久津と目が合った。久津の声に集中できないぐらい快楽が押し寄せてきてる。
汗か涙かわからない液体が目尻から伝う。段々口数の少なくなった阿久津を意識してパッと開けた目から、今度ははっきりと涙が流れた。
開いていた左手でそれを拭おうとすると、あたしを凝視してた阿久津と目が合った。


あたしは顔に伸ばす左手を止めて、阿久津の唇へと進路を変えた。阿久津が何か言おうとしたのを察したからだ。
あたしの涙を見て心配そうな表情を浮かべる阿久津に、あたしは笑って言った。

き も ち い い

その声は自分でも聞き取れないぐらい小さくて、後にでた喘ぎ声ですぐにかき消される。それでも阿久津はあたしをきつく抱きしめて、腰の速度を速めていった。
「あっ!ぅあっ、ァん!!ん...んー!!」
恐怖を含んだ、経験したことのない波が押し寄せる。こんなに気持ちいいのは初めてで、それなのに涙は止まらなくて、阿久津が抱きしめてくれなかったらきっと、あたしは声をあげて泣いただろう。
「はっ、ぁア!ん...あっ!!ふ、あぁ!」
「怖くねえから」
耳元で阿久津の声。それを聞いた時、何か張りつめていたものが切れた。
「んっあァ!!あくっつぅぅ!ぅ...うぁああァア!!!」

頭が真っ白になる。
脳天に雷が落ちたみたいに何かが突き抜けて、ふっと体から力が抜けた。力と一緒に意識もどこかへ消えて、あたしにその先の記憶はない。
でも阿久津の声が聞こえたような、そうじゃないような。


阿久津に頬を叩かれて目がさめた。結局心配させちゃったみたい。
「あたし...?」
「失神したみてえだ...無理矢理やっちまって悪かったな」
まだ朦朧とする頭は軽い頭痛をも引き起こして、あたしに現実を知らせる。
「...夢じゃなかったのね...」
「...夢がよかったのか?」
「まさか!!!」
あたしの即座のツッコミに、意地悪に笑う阿久津。夢がよかったなんて、思うわけないじゃない。
「あの...阿久津は...?」
「ん?」
「夢のほうが...よかった?」
つい顔をまっすぐ見れずに背けてしまう。コツンと小突かれて顔をあげると阿久津と目があった。そのまま、キス。
「気持ちよかったのはお前だけじゃねえからよ」
その言葉を聞いて、顔が爆発しそうだった。抑える代わりに阿久津の胸に顔をうずめた。
「ん?」
「ドキドキしてる」
伝わる阿久津の心音が、心地よいメロディみたいに感じた。すごく安心できる、あたしだけのメロディ。
「阿久津は...?」
「何だ?」
「あの、その...イ、イけた...?」
顔を見てなんてとても聞けずに、顔をあげさそうとする阿久津に対して抱きついて反抗した。阿久津はすぐに諦めて、あたしの髪をいじり始めた。
「やっぱ初めてで一緒になんかイけねぇんだな」
阿久津が指を通した髪が束になって元に戻る。その繰り返し。
「......」
「ああ、イってねぇわけじゃねえからな。一緒にってのが無理だっただけだ」
阿久津はあたしの頭をなだめるように撫でてから、手に余るぐらいの髪をとった。
「そっか、よかった...て、何してるのよ?」
阿久津はたまに痛いぐらいに髪を引っ張って、のそのそとなれない手つきで髪をいじっていた。
「いや、たまには別の髪型とかな」
視界の隅に入ったのは、あの阿久津の太い指が四苦八苦しながら三つ編みを結っているところだった。やり方がわからないらしく、すぐに解けていく。
「髪おろしてるのもいいな」
諦めた阿久津が指を離すと、あたしの髪は名残も残さずに元に戻った。空気をうけて、阿久津の指の感触も流れる。
これからは髪型に変化をつけよう。そう思った。


いつまでも裸じゃなんだからと、干しておいた下着を手に取った。それはすでに乾いて、不快な感触は感じなかった。
あたしが下着を履くのを見て、阿久津も下着とズボンだけを履きなおしていた。改めて見る阿久津の体は整っていて、とても頼もしかった。
あたしがシャツに手を伸ばすと、阿久津に後ろからひっぱられ抱きしめられた。伸ばした手は宙をかいた。
「阿久津?」
「や、もったいねえと思って」
阿久津はあたしの胸に手をあてて、感触を味わうようにじっくり揉んだ。下着の上からなのに、阿久津の手の中で形を変える自分の胸がひどく艶めかしい。
「...変態」
「その変態とあんなことしたのはどいつだろうな」
「...ドイツ人」
「そうくるか」
阿久津の右手が胸から離れ、あたしのあごに添えられる。導かれるように振り向くと、阿久津がキスをしてきた。触れるだけなのに、長くてあったかいキス。
「キス魔」
「うるせえ」
チッと舌打ちをした阿久津が照れているのがわかる。あたしと目が合うとまた舌打ちをして目をそらし、黙らせるようにまたキスをした。
「誰にでもするわけじゃねえからな」
「じゃぁ、誰にならするの?」
体を阿久津に向けて、無意識ながら胸を押しつけながら聞いた。阿久津の視線があたしの顔と胸を交差する。
阿久津が体を引いて、半ばあたしが押し倒すような形になってしまった。阿久津は顔をそらして腕で顔を覆った。


「あんたこそ」
「え?」
「誰とでもすんのか?」
目を合わせない阿久津の言葉が、重たい雰囲気を作り出す。沈黙を作り出したのはあたしなんだけども。
「違っ...あたしは...」
あんなことはできたのに、それでも告白をするのはためらわれた。ただ一言言うだけなのに、口が言葉を紡がない。
「あたしは...」
泣きそうになるのを堪えることしかできないあたしの手を、阿久津がそっと包んだ。驚いて阿久津を見ると、体勢のせいか若干睨むように阿久津がまっすぐあたしを見据えていた。
「阿久津...」

ボスンっ

いきなりした音に驚いて体が震えた。音のした方に目を向けると、阿久津が入ってきたきり少し開いていたふすまの前に黒髪の人物。メガネをしてるけど、どことなく誰かに似て...
「ぅ...ううぁぁあああああっ!!!!!」
そのおじさんはいきなり狂ったような悲鳴をあげて、すごい汗をかき始めた。目は焦点があってないしかきむしったせいで髪がぼさぼさになっている。
「こ、ここ宏海ーーー!!」
おじさんは口から衝撃波でも出す勢いで阿久津を呼んだ。肝心の阿久津は頭を抱え込んでうなだれている。あたしはどうしようもなく、困った目つきで阿久津を見ることしかできない。
「とと父さんのい、いない間あいだにぃ!!ななななっ!!」
額から滴る汗が、先ほどの音の正体のカバンを濡らしている。ワイシャツはもう透けるほど湿っている。
ああ、やっぱりお父さんですよね。
「そそそんな淫乱にー!!!目を覚ませ!覚ますんだ宏海ー!!」
あたしを指さしながら阿久津のお父さんは怒りで顔を真っ赤にしていた。確かに今の体勢は、あたしが阿久津を押し倒してるようにみえるかもしれない。でも淫乱って...
「こらァー!!売女!!よりにもよってうちの...俺の宏海にぃー!!!」
「うるせえ!」


阿久津が怒鳴った。あたしも驚くぐらい唐突で、怒りが伝わってくる声だった。もちろん阿久津のお父さんも目をパチパチさせながら驚いている。
「矢射子、服着ろ」
阿久津があたしの腕を引っ張って立ち上がらせる。後ろの視線を気にしておどおどしていたあたしに、服をとって渡してくれた。阿久津は自分が脱いだランニングじゃなく、あたしが着ていた黒のシャツを着なおした。
阿久津に急かされて慌てて服を着る。教科書の入った重い鞄は何も言わずに阿久津が持ってくれた。
「ま、待ちなさい!宏海!!!そんな女っ...!」
「俺が連れ込んだんだよ」
その一言で十分だったらしく、阿久津のお父さんは力なく座り込んだ。阿久津があたしの腕を引っ張って、そのお父さんの横を通って玄関へと向かう。あたしはただ引かれるままについていくだけだった。
阿久津は無言のまま靴を履き、あたしの手をとって家を出た。後ろから阿久津のお父さんのすすり泣きが聞こえた。
「男なんて...大事に育ててもすぐに他の女にとられるんだなぁ...宏海は...宏海はそんなことないと思っていたのに......いつまでも父さんと一緒に寄り添ってくれると...うっ!」
いや、聞こえなかったことにした。


阿久津は階段を降りてしばらくしてからやっと話し出した。でもそれは顔の合わせることのない会話だった。
「悪かったな」
前を行く阿久津の背中を眺めて、あたしは答えた。
「気にしてないわ。愛されてる証拠なんじゃない?」
ちょっと尋常じゃないけど、と思ったがそれは口にしなかった。阿久津の足が速くなる。
「いらねえな」
「そう」
阿久津の返事に深追いはしなかった。お父さんがあんな人だったら、あたしも不良になるかもしれない。
「阿久津って」
「なんだ?」
「不良なのよね」
本人に確認するものではないだろうけど、つい口にでてしまった。正直、あたしは全くそう感じてはいないのだけど。
「いろいろ言われてっからな。否定はしねえ」
やっと振り向いた阿久津は苦笑いととれる笑みを浮かべた。風が阿久津の髪を揺らす。そしてあたしの気持ちも。
「阿久津っ...!」
ガッと阿久津の手をとり、両手で握りしめた。少し前のめりになるほど勢いをつけたせいで上目遣いになりながら阿久津の顔をみた。
「不良と生徒会長って、よく聞くわよね!!?いいと思わない!?」
「ん?あ、ああ」
「だから...あの、あああんたは不良なんでしょ?で、あ、あたしは」
「生徒会長」
最初はあたしの気迫に圧されていた阿久津があたしの言葉を奪って笑った。そんな幼かったっけと思わせるぐらい、にこやかに笑った。
「そういうことだろ?」
真っ赤になった顔から湯気がでそうだった。さっきキスしたときより、抱きしめてもらったときより、一番ドキドキしてる。


あんまりにも阿久津がかっこいいから。あんまりにも阿久津のことが大好きだから。我慢なんかできるわけないじゃない。
「そういうことよ」
つかんだ腕を引っ張って、目の高さちょっと上まで屈んだ阿久津にキスをした。憧れの爪先立ちで、なんて。
それは一瞬だったけど、あたしたちを熱くするには十分だった。あたしはなにかが込み上げてきて、涙がこぼれるのを止められなかった。
「で、でも...あ阿久津が、不良だからっ...てわけじゃ、ない からっ...」
阿久津は少し人目を気にして、それでもあたしの肩を抱いて落ち着かせてくれた。あたしに合わせるように少し屈んで。
「わかりやすく言ってくれるか?」
肩を優しく叩きながら阿久津が言う。その言葉を聞くのを期待しているような、確信が持てていないような、そんな口振りで。
あたしは少し怒りそうになって、抑えた。手の甲で涙を拭って、阿久津の顔をまっすぐ見た。あたしだって、言いたいから。
「...あたしの理想は、阿久津宏海」
昔好きだった男子を思い出して、心の中で苦笑した。悔しいけど、太臓のせいで誰ともつき合えなかった今までの人生を、少し、少しだけ嬉しく思った。
だって、あたしの初めての告白を阿久津にできるんだから!
俯きたいのを堪えつつ、阿久津の手を握って最後まで言った。ものすごい小声で。
「大好き、です...」
阿久津の顔がほんのり赤くなる。あたしはいろいろなことが頭に浮かんでパニック寸前だった。なんで年下に敬語使ったのよ!告白マジック!!?
「あー...」
阿久津はむずがゆそうに頭をかきながら、少し考えている風に黙り、言った。
「俺でいいのか?」
なだめるようなその口調は、皮肉混じりの優しいだ感じだった。でも、あたしがそれを聞いてまっさきにしたことは、阿久津を睨むことだった。
「っ〜〜!阿久津じゃないとイヤなのよ!!」
半ばヤケになって叫んだ。女の子にここまで言わせるなんて、どれだけ鈍いんだ。まあ、そんなところも愛しくてたまらないんだけど。
また泣きそうになるのを唇を噛みしめて我慢した。阿久津の返事をちゃんと聞くまでは泣けない。
「阿久津...」
「宏海」
「え?」
普段は見せないような真剣な顔の阿久津から、あたしに対して視線がそそがれる。
「宏海でいい」
きっと今のあたしはまぬけな顔をしてるに違いない。


「こ...う、み?」
言葉を理解するように一文字一文字が頭の中にゆっくり現れる。口に出しても上手く言えない、特別な三文字。
「それって、どういう意味よ?」
「そういうことだ」
「わかりやすく言って」
阿久津は息を深く吸って、ため息をはいた。抱かれた肩が阿久津の方へ引き寄せられる。
「断る理由なんかねえんだよ」

阿久津の家に忘れた桃のリボンに、お経のように阿久津のお父さんからの呪いの手紙が書いてあったのは気にしないことにした。一番大切なものを頂いたんだから。
『ようするに思春期ってことだ』


-END-



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