乾×一口(前編)
2006/06/25(日) 22:59:41 ID:P/oTHrsk



「… うう、とうとう一ケタ台の点数とっちゃったよう」
「気にするなよ!オレなんか一ケタの点数しか取らなかったんだから」
「さわやかに言ってる場合じゃ無いでしょー!?」
梅雨の中休み、天気は晴れ。
ドキドキ学園高校の渡り廊下を、二人の生徒が並んで歩いていた。

明るい表情でのうのうと切ない台詞を吐いているのは、2年B組、乾一。
子犬の様などこか幼く可愛い容姿と、類い稀なる運動神経の良さ。
何かと話題の多い彼は、学校の中でも屈指の有名人である。

その横で溜め息をついて、残念そうな表情で口を尖らせているのは、同じくB組、一口夕利。
妙なキャラクターの髪留めでサイドの髪をちょこんと結んだ、小さな身体が跳ねる様に動く。
身軽にどこまでも走って行きそうなその無邪気な姿は、まるで小学生の様だ。

二人は進路相談室の扉を開けて、中へ入った。
赤本だとか、大学資料だとかには目もくれず、その更に奥にある小部屋へと向かう。
そして、お目当てのがらんと空いた会議用机を発見すると、筆記用具と荷物を置き、席に着いた。

「数学難しかったよねえ… 2もBも全然解んない」
「プリントだけ渡されたって出来るわけないよな」
「ねー、解法見たってちんぷんかんぷんなのに」

元々出来のあんまりよろしくない二人は、補習の後、更に、
教師から課題と称して問題プリントを渡された。
――― 俺は夕方5時まで居るから、それまでに終わらせて、職員室に持ってくる様に。

一度授業でやった問題を集めただけだから、教科書かノート見れば答えは載ってる。と言われたけれど、
それが分からなかったからこんな点数を取ってる人間にとって、これは意味が有るのだろうか?

ぶつくさいいながらも取り敢えず、教科書の中から同じ問題を見つけ出すべく勉強―
というより検索を始めた二人だったが、日の当たりの激しい教室は暑く、湿気も多かったので、
涼しそうな部屋を求めて移動してきたのだった。

「オレ3点だったんだよね。一口は8点?」
「…何で知ってるの?」
「ほら、ペンの跡がオレのとこにまで写ってたから」
「また!?先生も気ぃ使って欲しいよ」

「いぐち」と「いぬい」、出席番号で並んだ二人の答案用紙。
筆圧の強い教師に採点されると下の紙にまで筆跡が残る為、一口の成績は時々、乾に筒抜けになってしまうのだった。
まあ、相手は常に成績最下位及びブービーを走っている人物なので、別に良いのだけれど。

ひとまず二人は、自分の名前欄だけ書き込んであったプリントに向かい、解法の丸写しを始めたのだった。

――― そして、15分もしないうちに、手が止まる。


「――― でさあ、強くて、信念があって!!」
「凛々しくて、でもすっごい女らしくて…!!」

『ああもう、ホンッと矢射子会長(お姉様)は最高!!!!』

二人が全力ではしゃいでいる話の種は、ドキ高第38期生徒会会長、百手矢射子の素晴らしさについて。
強く美しく、頼りがいのある彼女は、二人の憧れの的なのである。
当の矢射子は、彼らのクラスメイト、阿久津宏海にめっぽう入れ込んでいるのだが、
幸か不幸か、二人はその事実をまだ知らない。

「ホントスタイルいいんだよねー!あーあ、あたしもお姉様みたいな体型になりたいなー」
「うわー、無理そう」
「何でよー、まだわかんないでしょ!」
いつものたわいないお喋り。今日だって、それと何ら変わらないはずだった。

――― しかし軽く悪態をついた後、ふと一口の動きが止まって、乾は首を傾げた。

「どうした?」
「…… そういえばね、聞きたい事があるの」
覗き込む乾をじっと真剣な目で見つめて、一口はゆっくりと口を開く。
「…?何だよ」

「乾君さ、どうやって胸大きくした?」

ぶ。

「オレ男だぞ!?」
あんまりな問いかけに、思わず机に頭をぶつけそうになった。何だその質問。
「あ、ごめんごめん間違えた。胸の筋肉ってどういう鍛え方するのかと思って」

「胸筋鍛えると、大きくなるんだって」
「いやまあ… 確かに胸囲は増えるけどさ、そーいう問題なのかよ」
「良くわかんないけど、そうみたいだよ」

そう言うと、一口は鞄の中から雑誌を取り出した。
ぱらぱらとめくり、特集ページがあるのだと言って探す。
「昨日佐渡さんと見てたんだけどね、コレ」

(こんなん載ってるのか… なんかごちゃごちゃしてんな)
恋に効く☆必勝コスメ!とか、肌見せの夏に向けてなんたらとか、
普段縁の無い写真や用語がずらっと並ぶ紙面を、乾も興味深そうに眺める。

「女子ってこういうのよく買うのか?」
「んーん、いつもは週刊ポストとか買ってるんだけどね、なんか特集がコレだったから… つい」
「ごめん、あの、一口のいつもは女子のいつもじゃ無かった」
「何よそれー……… あ、これこれ」

「… へー」
見開きページででかでかと「毎日3分エクササイズ・バストアップ編」と書かれた記事への
リアクションがとりづらくて、乾は何とも言えない気持ちになった。

しかし、一口は至って真剣な表情で紙面を見つめている。
「どう思う?あたし、やっぱり小さいよね?」
「…… はっ!?」
「どう思う!?」
「え…… や、分かんないけど………… 丁度いいんじゃない、か?
 一口は身長低いし、胸だけでっかくてもバランス悪いっていうかさ」

そんな、意見を求められても。困りつつ、何言ってんだオレと思いながら真面目に答える。
そもそも、こんな事、何で自分にまで相談するのだろう。
じろじろと相手の胸元を見るのも失礼な気がして、分かりもしない教科書に目を落とした。

「そっ… そっか… な。でも、せめてフツー位にはしたいよ」
小さく呟いて、また雑誌をぱらぱらとめくっている一口。どうやら、読者コーナーの欄を読み進めているらしかった。
……… そして、数分後。
「ねーねー」
「い〜ぐ〜ち〜…もー、今度は何?」
「ここね、読んでみたんだけど」
ひょいと、指で示された箇所を、先程と同じ様に覗き込んだ。が、字が細かくて良く分からない。
結局自力で見つける前に、一口からどうしようもない記事の内容を読み上げられてしまった。
「えっとねー、胸ってね、」

「おとこのひとに揉んでもらったら大きくなる、って…………」

「はあっ!?あはは、そんっ……………」
「… な事、あるかな」
ぱち。

『……』

超のつく至近距離、絶妙なタイミングで、二人の視線がかち合った。
あるかな、って。縋る様な目で見ないで欲しい。気のせいかもしれないけど。
何となく気まずくなって、乾は不自然に目を泳がせた。
しかし、数秒の沈黙の後、一口は再び先程と変わらぬ口調で語りかけてきた。

「… だから、あのね、あのね乾君」
「……… 何だよ」

――――― いや、まさか、

「ちょっとね、試しに…」




 (:-0)  


――――― あああえええええ嘘だろ!?
言葉が出なかった。心の中では全力で叫んでいるけれど、実際の口は力み過ぎてぐっと引き結んだままだ。
唐突過ぎる一口の頼みに、乾の大きな目は更に飛び出さんばかりに見開かれ、身体も完全に、がちがちに固まったのだった。
伺う様な目つきでじいっと乾を見ている一口の目に、好奇心こそあれどやましさは感じられない。
至って真剣、からかうわけでも無い。
気まずくなったと思っていたのは自分だけだったのか。思わずまた彼女の胸元に目をやってしまい、慌ててそらす。

「お… おまえな… 何言ってんだよ!そんなの適当だって。信じない方がいいよ」
「………… えーー…」
「まずいだろ、それは、いくらなんでも」
「何が」
「何がって…」

「……………」
「……… ちょっ、こっち見んな」
「むー!どうせ小さいもん!お姉様みたいに、触りたくなる様なのじゃ無いもん!」
「そう言う意味じゃねーよ!」
「どうせ、ブラだってホントはいらないんだもん!っていうか今日つけてないし!」
「わーーーーー!もういいから!静かにしろって!カミングアウトはしなくていい!」

過激発言を連発する一口を抑えようとしたけれど、一度言い出した意地か、彼女は引かない。

「……女子に頼めばいいじゃん」
「男の人って書いてあるじゃん」
「どっちだって変わんないだろ」
「だってあたし多分一番貧乳だし色気ないし、前に小学生より無いねってからかわれたし………… っていうか、
 そっちの方が絶対恥ずかしいよう!」

なんでそうなる、という言葉は口に出る前にかき消えた。

そういえば、一口は男に興味が無いという話を聞いた事がある。
現に今、彼女は矢射子会長にぞっこんで、会長を見つけるや否や飛びつこうとする一口を抑えるのに必死な自分がいたりする。
彼女の恋愛対象が女性に限られているのだとすれば、彼女の意見も多少は頷ける気がしないでもない…か?

一口にとってはむしろ、矢射子会長に忠誠を誓うもの同士の自分の方が、近い存在だとでもいう事か。
だから胸の相談まで、女子以上に出来る仲だと………

いや、それ、絶対違う。

「や、やっぱ駄目だって。オレの好きなのは会長、なのにそんな節操の無いマネをするわけには」
「何言ってるの?乾君が例えば、他の誰かと付き合ってても、お姉様は別に気にしな」
「いきなり冷静な意見吐かないでェェーー!」

勝手に操を立てようとする乾を遮って、さらっと言われた毒舌に涙する。

――――― どうしよう。
そもそもその記事自体、男に揉んでもらうっていうより、好きな奴に揉んでもらうと、
って意味じゃないんだろうか、そんな事を考えたけれど、それを聞いて、
じゃあやーめた、と言い出されるのも何か…うん。

それだと今度は会長に頼むかもしれないし、もし会長がOKしたら…そんなの一口だけずるい、
オレだって…………… オレだって…………………っ!

……………………… 会長に踏まれたいのにーーーーー!!!!

はたから聞けば異常な、しかしまぎれも無い本音が背中を押した。
それを抜きにしても、乾だって、興味が…あるっちゃある。
本人が良いというのだから良いのだろう。

「え、えっと、知らないぞ!後でセクハラとか言うなよ!」
「言わないよっ」
「先に言っとくけど、別にお前がどーとか……そういうんじゃ無いからな!」
「あたしだって、矢射子お姉様が大好きだし!何かそーいうの、関係なくて!」

『……』

ぐるり、と周りを見回した。
元々ここは、部屋の更に奥の部屋。
廊下との間は白い蛇腹のパーテーションで区切られている。窓は―――― すりガラス。


「――― じゃあ、そっち行くから」
「うん」

一口はあっさりと頷いて立ち上がり、やっぱここ涼しいね、と言いながらスカートの中にしまっていたワイシャツを外に出す。
オレが言うのも何だけど、そんなにのんきに構えてていいのか。一口のせいで、自分はちっとも涼しく無い。

椅子を引く音も、靴の底が鳴る音も、うるさいくらいに耳に響いた。




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